冬夏恋語り


駐車場から駅前の通りまで歩きながら、手をつなごうとする彼の手を、私はやんわりと拒んだ。

拒んだといっても手を引っ込めただけだったが、彼にはそれが伝わったのか、すかさず肩を

抱かれた。

肩の手を振り払うことはできず、けれど、最寄駅周辺でもあり、知り合いに会うのではないかと人目が気になり顔を伏せて歩いた。

彼の手を拒否したつもりだった。

言われる一方で、なにも言い返すこともできない私のささやかな抵抗だったのに、結局は西垣さんにされるままになっていた。



コーヒーショップの一階は、相変わらずの込み具合だった。

どこで待ち合わせかと尋ねられ、「三階です」 と答えると、西垣さんはカウンターで注文もせず、私の背中を押して奥の階段に向かって歩き出した。

黙々と階段をのぼり、たどりついた三階席には、先日私が待っていた席に東川さんが座っていた。

近づく気配に気が付いたのか、こちらへ顔を向け合図するように手を挙げてかけたが、私の後ろに西垣さんを認めたためだろうか、その手はスッと下げられた。

三人の顔がそろい、それぞれの口から 「こんばんは」 だけと挨拶があった。

一応は顔見知りであるが、知っているというほどではない。

東川さんに西垣さんを紹介するべきだろう思うが、彼です……では説明不足のようで、婚約者です……と口にするには私の気持ちに整理がついていない。

なんと紹介してよいのか決められず、そのまま用件に入った。



「お待たせしました。さきほどは、すみません」


「いいえ、いつでもよかったのに」


「彼女がお世話になったそうで、ありがとうございました」


「いいえ、そんなことないです。僕がたまたま……」


「お借りした金額は一万円でしたね。では、こちらに」



西垣さんは東川さんの言葉を遮っただけでなく、自分の財布から一万円を出すと、戸惑う東川さんの前に差し出したのだった。



「えっ? あの、どうしてあなたが?」


「あぁ、僕ら結婚することになりました。財布も同じなので」


「はぁ……」



東川さんは、差し出されたお札を受け取るでもなく、かといって断るでもなく、困った顔で立っている。

一万円でしたねと言われ、当惑しているのかもしれない。

父に問い詰められ、立て替えてもらった額を一万円と言ってしまったが、実際はその半分もなかった。

立て替え分が少額では 「今でなくても、あとで返せばいいだろう」 と父に言われそうで、一万円と偽ったのだが、まさか西垣さんが支払ってくれるとは予想外の出来事で、私は自分の嘘が招いた事態に狼狽していた。



「一万円では足りませんか」


「いえ、多すぎるくらいです。おつりを……困ったな、細かいのがなくて」


「あっ、私が払います。待ってくださいね」



バッグに手をかけた私を西垣さんが制した。



「差額は結構です。先を急ぐので、これで失礼します。

結婚式の打ち合わせの途中でしたから」


「そうでしたか。おめでとうございます」



それまでの戸惑った顔がパッと明るくなり、東川さんは祝福の言葉と笑顔を向けてくれたのだった。

良かったですね、と心からの言葉が添えられ、ありがとうございます、と応じる余裕の様子の西垣さんに促され、私も 「ありがとうございます」 と言葉にしていた。





コーヒーショップにいたのは、時間にして10分もあっただろうか。

席に座ることもなく、私たちは来た道を戻っていた。

往路の時の渋滞は嘘のように解消され、復路はスムーズな走りになっていた。



「ありがとう」


「うん?」


「お金、返しますね」


「いいよ。財布が一緒だって、彼にも言ったしね」


「でも……」



もうすぐ家に着く前の路地に入ったところで、彼は車を路肩に止めた。

どうしたの? と顔を見ると、シートベルトをはずしながら、ふぅ……とため息をついている。



「彼の顔を思い出したらイライラした」


「どうして?」


「どうしてかな」



返事に首をかしげる私に、西垣さんが覆いかぶさってきた。

唇を荒く吸い上げ、息もつけないキスが続く。

大人の余裕も、ときには揺らぐのかもしれないと、キスを受けながら私はそんなことを考えていた。


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