冬夏恋語り


そこには、いつかの朝を思わせる光景が広がっていた。

私は睡眠不足のまま朝食もとらずに出勤し、父は早々とやってきたが眉間にしわを寄せ、いかにも機嫌が悪く、母はそんな私たちを息をつめて見つめている。

家族だけの事務所は、朝の清々しさからはほど遠い雰囲気に包まれていた。

このまえは、東川さんが午前中最初の訪問者で 「朝から親子喧嘩ですか」 と、声をかけて空気を和ませてくれたが、今朝も誰かがやってきて、この重い空気を壊してくれないものだろうかと待ちながら仕事をはじめた。


私の願いが通じたのか、予定にない訪問者があったのは始業から間もなくの頃で、近くまで来たからちょっと立ち寄った、というには無理のある時間帯だ。

いくつものビルを所有する北条さんは、いわばこの土地の名士だが、この人の耳を通らない噂はないと言われている。

話の切り出し方も絶妙で、多少の前置きのあと、単刀直入、本題に切り込んできた。



「深雪ちゃん、昨日は大立ち回りだったそうじゃないか」


「はい?」


「とぼけても無駄だよ。聞いたよ。

駅前のファミレスで、言い寄る男に引導を渡したそうじゃないか。

見事な啖呵だったって、もっぱらの評判だよ。

おとなしいアンタがあそこまでいうとはねぇ、よほどのことだろうよ」


「北条さん、誰に聞いたんですか」



何も知らない父は、いきなりの話に動揺している。

恐る恐ると言ったように尋ねると、北条さんの得意そうな顔が答えた。



「うちの孫が、あそこでアルバイトをしているのさ。

小野寺さんちの深雪姉ちゃんが、店ですごかったんだよって、 興奮して話していた。

いやぁ、さすが小野寺さんの娘さんだって、うちの家族も感心しきりだよ」



北条さん、その話、待ってくださいと告げたが、私の声は父の大声にかき消されていた。

まだ父には話していないんです、お願いですから黙って……

私の願いもむなしく、父は北条さんに詰め寄った。



「店で何があったんですか! えっ? 深雪がどうしたって?」


「おや? アンタ、知らないのかい? 

まいったな、深雪ちゃん、親父さんには内緒だったのか」



いやいや、口が滑っちまったよと、北条さんは大げさな身振りで手で口をふさぐしぐさをしたが、父がそのままにはさせず 「話してくれませんか、親として知る責任がある」 とすごんだものだから、仕方なしにといった風で北条さんは、昨日のファミレスの騒動の話を始めた。


はぁ……

朝から深いため息が漏れ、またひとつ、私から幸せが逃げていく。

しばらく父の仏頂面が続くことだろう。

今はまだ、昨夜のことがあり言葉を押さえているが、我慢しきれず 「深雪、恥ずかしくないのか」 と雷が落ちるかもしれない。


北条さんの話を、食い入るように聞き入る父の横で、母は仰天している。

事務所の職員さんは、一応デスクに向かっているが、耳は北条さんへ向き、ダンボのごとく大きくなっているだろう。

地元のファミレスで、俗にいう修羅場をやってしまったのだから、遅かれ早かれ両親や事務所のみんなの耳に入っただろうが、まさか、こんな形で知れ渡ることになろうとは思わなかった。

昨日一日で、二度の修羅場を演じた私は、ほとほと疲れていた。



昨日、西垣さんに気持ちをぶつけたあと、東川さんとともにファミレスを出た。

店を出る間際レジで立ち止まり、東川さんから受け取った封筒を差し出し 「お釣りはいりません」 と言っておいてきた。

西垣さんと里緒奈さんが追いかけてくるのではないかと思ったが、その気配はなく、私の車に東川さんを乗せ、急ぎその場を立ち去った。

行くあてもなく車を走らせていたが、気持ちが落ち着いてくると、急激に恥ずかしさに見舞われ、はずみと勢いで取った行動を後悔した。

恥ずかしさと後悔にさいなまれ、一種の興奮状態から車の運転も乱暴になり、東川さんに止まるように言われたときは、町はずれの工場跡地にまで来ていた。


助手席で前を向いたままの東川さんに 「カラオケに行きませんか」 と唐突に言われ、「はい」 と返事をしたのは、どこかに隠れてしまいたいと思ったからで、 外部から遮蔽されたカラオケルームは、私たちにはうってつけだった。

食べそこなった食事をとり、歌うことで鬱憤を晴らした。

二時間ほどをそこですごし、東川さんを駅まで送って私が帰宅したのは門限の少し前のこと。

門の前に父と西垣さんの姿があった。

門を開けなければ、車を敷地に入れることはできない。

仕方なく車から降りた私へ、父から声がかけられた。



「西垣君から話は聞いた。お前の言い分もわかるが、男としての立場もある。

ここは一歩引いて、西垣君を立ててはどうか。結婚は急がなくてもいいそうだ」


「なんの事だかわかりません」


「深雪!」



ここは、僕が……と西垣さんが話を引き取った。


いつもの父らしくない控えめな言い方と、先ほどとはうって変わった西垣さんの様子に、二人魂胆を感じた。


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