冬夏恋語り


風邪を引いた西垣さんが心配で、男性一人暮らしの部屋に見舞いに行った自分に驚きながら、寝込んで動けなくなった彼のために三日続けて通って看病をした。

治りかけの病人に 「食べたいものがありますか。欲しいものがあったら言ってください」 聞くと 「深雪ちゃんのキスがほしい」 と言われ、 微熱の残る唇に自分の唇を重ねてしまった行動は、思い出しては赤面する。

「看病のお礼をしたい」 と、食事に誘われた夜、そのとき体の奥に潜む熱に気がついていた私は、いざなわれるままにホテルの部屋に赴き、これまで超えることのなかった一線を、ためらうことなく飛び超えた。



「素肌が触れると気持ちいいだけじゃない、体を重ねて初めて得られる感覚がある。

人間の神秘だと、僕は思っている」



荒い息を整える私の耳元で西垣さんが言ってくれた言葉は、講義を受ける学生に伝えるような口調だったが、そう言われたことで体中が火照り、恥ずかしさで背を向けてしまったことは、もう懐かしい思い出になった。

あれから数年が過ぎたが、私と西垣さんの距離は 「付き合ってよ」 と言われたときからほとんど変わっていない。



「門限、相変わらず12時?」


「ごめんなさい。父がうるさくて」


「約束を破らせるわけにはいかないな。俺も、いつまでも臨時職じゃカッコつかないね。

今度の論文が……」


「論文がどうしたの?」


「いや、なんでもない。あのさ、のどかわいた。アイスクリームが食べたいな」


「またアイスクリーム? 西垣さんって、本当に好きですね。

でも、アイスって、もっとのどかわきますよ」


「だよね、ラムネってあるのかな。あっ!」



あそこにあるよ、と手を引く彼に連れられて歩きながら言葉の先を考えた。

今度の論文が認められたら常勤になるの? 

それとも、論文を出したら、私と彼の間に変化が起こるの?

「未来を予感させる出会いがあります」 の占いの一文が頭をよぎり、胸が高鳴った。



西垣さんが大学を辞めたのは、彼と付き合い始めて半年ほどの頃だった。



「派閥争いってあるんだよね。誰につくか決めろといわれた。

どっちが有利か不利かで人を選ぶなんて、僕にはできないな」



そう言って、周囲の引き止める声にも耳を貸さず、彼はさらっと講師の職を手放した。

西垣さんは、潔さとしなやかさを持ち合わせている。

「どこでも勉強できるし、意欲さえあればなんとかなるよ」 と言い切る姿に感心しつつも、

収入を絶たれたあとの生活はどうするのかと心配だったが 

「恩師のつてでアルバイトをすることになった、現金収入は必要だからね」 

と現実的な言葉を口にする彼にひとまず安心した。

大学の講師だった人が、信念を貫くためにはアルバイトもいとわない、そんな姿勢も好ましいと思ったものだ。

短期のアルバイトから長期の臨時職になり、今は常勤と変わらぬ待遇になっている。



論文が認められたら、それなりの職を得られるのではないか。

帯とペディキュア、ふたつにラッキーカラーを用いた効果は抜群だったのかもしれない。

臨時なんてカッコつかないなんて、誰に対して格好をつけたいのか、それは私の父であると言うような口ぶりだった。

今夜西垣さんに会った、それが未来を予感させる出会いかも……

私の頭は、緊張した彼が父に対面する場面を思い浮かべていた。


嬉しくて、無意識に頬が緩み笑みが浮かぶ。

今まで何も言ってくれなかったけれど、二人の将来を考えてくれていたんだなと思うだけで、嬉しくて仕方がない。

腰に手を当ててラムネを飲む西垣さんが、頼もしく見えてきた。


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