冬夏恋語り


「西垣さん、早く断った方がいいですよ。

ウチの姉は押しが強いから、西垣さんのアルバイト先、勝手に決めちゃいますよ」


「やだ、恋ちゃん、人聞きの悪いこと言わないでよ。私はね、困った人を見ると黙っていられないの」



暖簾をくぐって顔を出した恋雪さんが助け船を出してくれたが、お姉さんも負けてはいない。

とにかく、ここは俺の身分をはっきりさせなくては。

口で言ってもわかってもらえそうにない、思い込みの強い人には視覚で訴えるのが一番だ。

胸ポケットを探り、名刺入れから2枚抜き、恋雪さんのお姉さんと、恋雪さんにも渡した。



「……大学 講師 西垣武士……講師? あなた、大学の講師なの?」


「はい、そうです。ですから、アルバイトの件は辞退させていただきます」


「だって、さっきペットショップでアルバイトしてるって」



俺の言葉を自分勝手に解釈したお姉さんにも非はある。

しかし、もとはと言えば、大学生と勘違いさせる発言をした俺が悪いのだ。

すみません……と謝りかけたところに、恋雪さんの声が重なった。



「アイちゃん、西垣さんの話、よく聞いてないでしょう。

西垣さん、私とペットショップで会っただけ。アルバイトなんて一言もいってないよ」


「だって、そう思ったんだもん。普通は思うでしょう。アルバイトだって」


「思いません。アイちゃんの勘違い。はい、これで話はおしまい。みなさん、お騒がせしました」



パンパンと手を打ち鳴らし、恋雪さんは店内に大きな声を響かせた。

きっぱりとした物言いで姉の間違いをただし、手打ちで場を収めてしまった恋雪さんの姿は粋で清々しい。

誰もいなければ 「イヨッ」 と掛け声をかけたいくらいの勇姿だ。

彼女の背中に見とれていると 「お熨斗の確認をおねがいします」 と言われ、あわててカウンターに駆け寄った。

熨斗は、墨のあとも鮮やかな毛筆で仕上がっていた。



「恋雪さんが書いたの? 達筆だなぁ。

最近はパソコンで印刷するところも多いけど、筆字って、いいよね。うん、すごくいい」


「そうですか? 恥ずかしいな」


「どうして恥ずかしがるんだよ。字が上手な人って尊敬するよ」
 

「あんまり褒めないで」


「お世辞じゃない、本当だから」


「そうかな」



話すうちに彼女の言葉に親しさが戻り、そんなことが嬉しかった。



「西垣さん、こちらでお茶をどうぞ。恋ちゃんも」



お姉さんの姿が消えたと思ったら、お茶の用意をしていたようで、手にした盆には数個の茶碗が乗っている。

「遠慮せず、こちらへどうぞ」 と、あいかわらず強引な誘いだが、それもまた彼女らしい。



「西垣さん、姉のお詫びの気持ちだと思うので、お茶に付き合って」


「ありがとう」


「さっき、恋ちゃんって呼ばれてたけど、恋雪さん、恋ちゃんなんだ」


「姉が 愛に華やかと書いて ”まなか” それで、姉をアイ、私をコイ、みんなそう呼ぶの」


「僕も恋ちゃんって呼んでいい?」


「いいですけど……」



いいですけど、と言った声に引っかかる何かを感じたが、その時は、気に留めることなくやり過ごした。

「恋ちゃん」 なら、なんの問題もない。

別れた彼女 「深雪」 とよく似た 「恋雪」 という名前を呼ぶたびに感じていた胸の痛み。

それらから解放されたかったのだ。

こうして、俺は 『麻生漆器店』 の姉妹と知り合いになった。



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