誘導
誠は、その後の仕事は手につかずといった様子だった。仕事に対して抜かりない彼が、背後から話し掛けると挙動不審になる。そんな事は今まで一度も無かった。誠は本当に、彼女に一目惚れをしてしまったのだろうか。伊月には、あの女性がお世辞にも魅力的な女性には見えなかった。ドリンクの注文があった時に部屋を伺ったが、彼女が何処にでも居そうな奥二重が特徴的な女性だった。だがしかし、シュールな誠の事だ。彼は彼女に、何か魅力の感じる部分があったのかも知れなかった。
「なぁ、宮内。」
伊月はバイトの帰り、誠に真意を聞き出したくなった。午前二時の広島市内は、飲み屋街を外れると、商店街にも通行人はほどんど歩いていない。二人は自転車を漕ぎながら、喋って家に帰るのが日課のようなものになっていた。バイトの終了時刻の差が三十分程度なら、どちらかがどちらかを待つのが二人の間では当たり前の事になっていた。今回は誠が伊月を、退勤までの三十分間待っていた。
「なんだよ。」
ぶっきらぼうに誠は言った。疲れた身体に、程よく涼しい風が吹いてきた。
「お前、今日の後半ほとんど作業が手に付いてなかったじゃないか。心此処に在らずだったというか…。」
「あぁ。最初の方で飛ばしすぎて、後半息が切れてしまった。」
伊月は、誠が一瞬虚を衝かれたような顔をしたのを見逃さなかった。目は口ほどに物を言う、とはこの事だろう。
「そんな風には見えなかったな。」
「何が言いたいんだ。」
誠は苛ついているのが伝わった。涼しく感じた風も一転し、真夏のじめじめした微温い風に変わったように感じた。
「いや、何でもないよ。急にどうしたんだ。」
「変な事を言うな。俺はいつもと変わらない。」
そう言うと、誠は自転車を漕ぐスピードを少し上げた。伊月は負けじと追いかけるが、追いつくまで思った以上に時間が掛かった。商店街を抜けると、道路の脇はタクシーで埋め尽くされる。二人はスクランブル交差点を抜け、幹線道路を通過した。車道と歩道の境界に生えている街路樹が、そよ風に靡いていた。
「待てよ、宮内。」
「…。」
伊月は立ち漕ぎで誠の自転車を漕ぐスピードに合わせた。それでも誠は自転車のスピードを緩めない。伊月が誠の顔を覗き込むと、何やらぶつくさと口をぱくぱくさせていた。何かを復唱しているようにも感じられた。静まった夜道で、車の音はよく響いていたから誠が何を言っているのかは聞き取れなかった。
「どうしたんだよ、宮内。」
「なぁ、伊月。」
誠が急に自分の名前を口にした事に、伊月は驚いた。
「今日はもう疲れたから、黙って帰ろう。」
「なんだよ、それ。」
結局、あれから険悪な空気が漂ったまま二人は何時もの別れ道で別れた。伊月はまたな、と誠に声を掛けたが、返事はなかった。若干頷いて見えたが、暗い夜道だった所為でもあったからか、よく分からなかった。
一体、誠はどうしてしまったのだろうか。機嫌が変になった事を聞くのは彼にとって、そんなに悪い事だったのだろうか。不意に、親友だと思っていたのは自分だけだったのだろうかという想いに駆られた。自転車を早く漕ぎすぎた所為か、体中から汗吹き出していた。シャツがべっとりと吸い付いてくる不快感と、誠に対する不快感に襲われ、伊月は家まで足を急がせた。
「なぁ、宮内。」
伊月はバイトの帰り、誠に真意を聞き出したくなった。午前二時の広島市内は、飲み屋街を外れると、商店街にも通行人はほどんど歩いていない。二人は自転車を漕ぎながら、喋って家に帰るのが日課のようなものになっていた。バイトの終了時刻の差が三十分程度なら、どちらかがどちらかを待つのが二人の間では当たり前の事になっていた。今回は誠が伊月を、退勤までの三十分間待っていた。
「なんだよ。」
ぶっきらぼうに誠は言った。疲れた身体に、程よく涼しい風が吹いてきた。
「お前、今日の後半ほとんど作業が手に付いてなかったじゃないか。心此処に在らずだったというか…。」
「あぁ。最初の方で飛ばしすぎて、後半息が切れてしまった。」
伊月は、誠が一瞬虚を衝かれたような顔をしたのを見逃さなかった。目は口ほどに物を言う、とはこの事だろう。
「そんな風には見えなかったな。」
「何が言いたいんだ。」
誠は苛ついているのが伝わった。涼しく感じた風も一転し、真夏のじめじめした微温い風に変わったように感じた。
「いや、何でもないよ。急にどうしたんだ。」
「変な事を言うな。俺はいつもと変わらない。」
そう言うと、誠は自転車を漕ぐスピードを少し上げた。伊月は負けじと追いかけるが、追いつくまで思った以上に時間が掛かった。商店街を抜けると、道路の脇はタクシーで埋め尽くされる。二人はスクランブル交差点を抜け、幹線道路を通過した。車道と歩道の境界に生えている街路樹が、そよ風に靡いていた。
「待てよ、宮内。」
「…。」
伊月は立ち漕ぎで誠の自転車を漕ぐスピードに合わせた。それでも誠は自転車のスピードを緩めない。伊月が誠の顔を覗き込むと、何やらぶつくさと口をぱくぱくさせていた。何かを復唱しているようにも感じられた。静まった夜道で、車の音はよく響いていたから誠が何を言っているのかは聞き取れなかった。
「どうしたんだよ、宮内。」
「なぁ、伊月。」
誠が急に自分の名前を口にした事に、伊月は驚いた。
「今日はもう疲れたから、黙って帰ろう。」
「なんだよ、それ。」
結局、あれから険悪な空気が漂ったまま二人は何時もの別れ道で別れた。伊月はまたな、と誠に声を掛けたが、返事はなかった。若干頷いて見えたが、暗い夜道だった所為でもあったからか、よく分からなかった。
一体、誠はどうしてしまったのだろうか。機嫌が変になった事を聞くのは彼にとって、そんなに悪い事だったのだろうか。不意に、親友だと思っていたのは自分だけだったのだろうかという想いに駆られた。自転車を早く漕ぎすぎた所為か、体中から汗吹き出していた。シャツがべっとりと吸い付いてくる不快感と、誠に対する不快感に襲われ、伊月は家まで足を急がせた。