じゃあなんでキスしたんですか?
*
廊下の向こうから、足音が近づいてくる。
同じ形のドアがいくつも並んでいる細い通路は、管理が行き届いている証拠に塵ひとつ落ちていない。
うずくまっているわたしの前で、足音がやんだ。
「なに……やってんだ」
聞き馴染みのある声に顔を上げると、あきれるほど整った顔が驚きに目を見張っている。
「ほかに、行くところが……思いつかなくて」
震えた声は、自分の声とは思えないくらい遠くから響いているようだ。
どうしてここへ来てしまったのか、自分でもわからない。
気が付いたら電車に乗っていて、気が付いたらマンションのエレベーターをのぼっていた。
でも、さすがに十二階で降りることはできなかった。
「玄関の前で待ってるとか……。俺に女がいるとか、考えねーの」
ネイビーのジャケットにデニムを穿いた桐谷さんが、手の中で鍵をもてあそびながら、嫌そうに唇をゆがめる。
「す、すみません」
立ち上がろうとした瞬間、彼が目の前にしゃがみこんだ。
「いねえよアホ!」
ぎゅっと鼻をつままれて、首を縮める。泣きそうになっているわたしを見て、桐谷さんはあきらめたように吐息をこぼした。