世界でいちばん、大キライ。
(自分で決めたことじゃない。〝賭け〟に負けたのよ、私は。だったらもう、迷うことなんかないじゃない)

視線を下げ、グッと手を握ると、ジョシュアが閉めかけた窓に向かって開口した。

「――行きます」

発進しようとしていた運転手にストップをかけたジョシュアは、再び窓を開くと桃花を真っ直ぐと見て聞き返す。

「決めたんだね?」
「……はい。お世話になります」
「OK.じゃあ話を進めておくよ」

その見定められるような視線に、桃花も負けずに真っ直ぐと向き合う。
そして、頭をもう一度下げて挨拶すると、ジョシュアは満足そうな顔をする。

「Thank you,モモカ。後悔はさせないよ」

窓からジョシュアの腕が伸びてくると、綺麗な指先に頬をなぞられる。
驚いて頬を赤く染めると、ジョシュアはにっこりと目を細めた。

「オヤスミ」

最後にひとことそういうと、今度こそ窓がゆっくりと上に閉まっていき、タクシーは右にウインカーを点滅させて走り出してしまった。

そのタクシーをなんとなく立ち呆けて見送ると、桃花はゆっくりと踵を返してアパートに向かった。

一歩、また一歩と歩いている自分のつま先に視線を落としながら、何度も『これでいい』と言い聞かせる。
ワンルームの部屋に入って、何気なくキッチンへと目を向ける。

狭いキッチンにあるのは、決して高いとは言えないエスプレッソマシン。タンパーやミルクピッチャー。
そっと手を伸ばしてそのタンパーを持ち上げると、コンッと足元に何かが落ちた。

タンパーを元に戻して膝を折る。
拾い上げたものは、久志の家でも落としていたクマのチャームだ。

「やっぱり緩んでるんだ……」

手のひらに乗せたチャームに話し掛けるように、ぽつりと言った。
それを大切そうに優しく手に包む。

(ちょうどいいよ。振られたし。元々留学したかったんだし、これでスッパリと次に進める)

手の中のものに重ねる思い出がひとつ増えてしまったことに、このときの桃花は気付いていない。
久志の面影は、短期間だけれど確実に桃花の中には刻まれていて……。

「……荷造りとか、しなくちゃ。あと、お母さんにも言わなくちゃ」

それに辿り着くことを本能で避けるように、目の前のするべきことを無意識に口にしながら、桃花はゆっくりと動き出した。

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