これが恋というものかしら?~眼鏡課長と甘い恋~【完】
「お釣りは結構です」

 俺はタクシーを降りると、恵の住むマンションのエントランスを早足で目指した。

 そもそも、このマンションを訪れた時に気が付けばよかった。いくらでも彼女について知ろうと思えば知ることができた。それを見逃してきたのは俺自身の失態だ。

 以前は地下の駐車場からそのままエレベーターに乗り込んだのだが、今回はそうはいかない。

 立派なエントランスの扉をくぐると、年配のコンシェルジュがすぐに声をかけてきた。

「あの、二宮さんを……お願いしたいんですが」

 焦って、コンシェルジュのいるカウンターに乗りだしそうな勢いで尋ねた。しかし、そんな俺を気にする様子もなく、淡々と答えている。

「二宮様ですか……、こちらにはいらっしゃいません」

「じゃあ、あの綾上さんは?」

一縷の望みをかけて、もう一度尋ねてみる。

「そのようなかたもいらっしゃいません。……すでにお引越しされております」

 何の感情も持ち合わせていない表情で、コンシェルジュは淡々と事実を告げた。

 もう……引っ越したのか。ずいぶん早くないか?

 疑問に思うと同時にあのレストランで、俺に話しかけてきた恵の兄――綾上大輝の顔が頭に浮かんだ。

 きっと恵をすぐに連れ戻せるように、画策していたに違いない。なのに、俺は……。

 今、後悔をしたところで仕方ない。

「あの、引っ越し先を教えてはいただけませんか?」

「個人情報ですので、お教えできません」

 ダメ元で言ってみたが、至極当然の答えが返ってきた。ダメだとはわかっていたが、コンシェルジュの無表情な顔が余計に苛立ちを募らせた。

 それ以上は何も言わずに、踵を返してマンションを出た。

……恵、もう遅すぎるのか?

 歩き始めた俺の前を、風で散らされた落ち葉が舞う。俺たちの時間も、同じようになくなっていく……そんな気がして、俺はそれをかき消すように頭を振った。

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