姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
「なんで追いかけてくるのよ~」

 恐々とした声を漏らしながら廊下を逃げていたゆらは、雨戸の隙間を見付け庭に飛び下りた。

 急な方向転換にもかかわらず、クモたちはくいっと曲がり、ゆらのあとに続いてカサカサと庭に出て行った。

「はわ~、追いかけてくるう」

 なんなの?なんなの?

 恐怖に引きつったゆらの顔が稲光に照らされる。

 すぐ近くで雷鳴が轟き、腹にずんと響いた。

「ひ~~~」

 ひどい夜だ。

 とんでもない日だ。

 おしずを見付けたというのに母はいなかった。

 心配で心配でならないのに、自分は気持ち悪い蜘蛛の集団に追いかけられている!

 前庭と思われる所まで出てくると広い池があった。

「あっ」

 思わず足を止め振り返ると、あっという間に蜘蛛がゆらの周りに集まってきた。

 もう右も左も蜘蛛だらけだ。後ろは池。

 逃げ場はなくなってしまった。

「ど、どうしよう」

 蜘蛛がカサッっとゆらの足の甲に乗った。

「いや~」

 身をよじって振り払おうとしたゆらの足にふっと何かが触れた。

 びくっとして見下ろせば、光沢のある衣の袂が見え、その先にある白い指が見えた。

 それはゆらの足の甲に取り付いた蜘蛛を摘み上げたかと思うとぽいっと放り投げた。

 蜘蛛は弧を描くようにして宙を飛び、仲間の中心に落ちて行った。

 カサカサと蜘蛛たちが身じろいだ。

 振り仰げば、異常なまでに背の高い人影が横に立っていた。

 「ひっ」と小さく叫んで身を引こうとすると、その人が腕を伸ばし、着物の袂でゆらの体を柔らかく包み込んだ。

 よく見れば、異常に背が高いと思ったのは烏帽子と呼ばれる公家の被り物を頭に乗っけていたからで、本当の背の高さは新之助や宗明とそう変わらないようだった。

 袂の陰でほっと胸を撫で下ろしたゆらに、その人は穏やかな微笑みを稲光の中に浮かび上がらせた。

「あの、どちらさま……」

「まずは、この気持ち悪い状況をどうにかしませんとねえ」

 焦っている風もなく鷹揚に言ったその人は、袂の中から出した細く長い指をくいくいっと動かした。

 その間口の中で何かを呟いている。

 刹那、バサバサという音と共に空から何かが舞い降りてきた。

 ゆらは袂の中で身をすくめながら、目の前で起きた世にも奇妙な光景を凝視した。
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