姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
 昔からの癖で、ゆらはいまだに宗明のことを幼名で呼ぶ。

 助けを求めるように柳生を見ると、人のよさそうな笑みで二人を見ていた。

「ゆらさま。臣下とはこのようなものですぞ。何よりも主人の身の安全が一番なのじゃ」

「……」

 もう一度宗明を見たゆらは、彼の広い肩に手を置いた。着物が汗ばんでいた。必死にゆらを探していたのだと伝わった。

「顔を上げて、三郎太。黙っていなくなって、ごめんなさい」

 こんなに心の底から申し訳なく思い、謝ったのは初めてだった。

「お師匠さまにいろいろ教えて頂いたの。だから、もう黙ってお城を出たりしないわ。ちゃんと言って行くから。ね?」

 宗明が顔を上げた。その顔はもう無表情ではなく、安堵の色が濃く表れていた。

「姫さまには、ご自分が思っておられる以上に大切なお身体だという事を分かって頂きたいのです。姫さまのお姿が見えなくなる。それだけで胸がつぶれるような思いをする人間が城にはたくさんおります」

「……うん……」

 自分などいなくても誰も困りはしないと心のどこかで思っていた。所詮は側妾の子だからと。自分でそう思っていた所があった。

「三郎太。わたしのお目付け役なんかになって、嫌じゃなかったの?自分のお役目もちゃんとあるのに、わたしなんかの世話をしなくちゃいけなくなって、面倒じゃなかった?」

(この子は何をいまさら……)とでも言いたげな顔で宗明は小さな溜め息を一つついた。

「姫さまをお守りすることこそ、私の使命でございます。余計なことはお考えにならずともよろしい」

「そ、そう……?」

 二人の視線が絡み合った。その間に割って入るように、一つの咳払い。

「この男が、ゆらさまから離れることはありますまい。頼みに思いなされ」

 水戸のご隠居を思い出させる柔和な顔をさらに緩めて、柳生は微笑んでいた。

 その日はそれで道場を辞し城に戻ったゆらは、柳生に言われたように、あやめを始めとした側仕えの者たちに謝罪とこれからの行動についての約束事を口にした。

 そうして柳生と宗明に上手く丸め込まれたことに気付かぬまま、お忍びとは名ばかりの市中散策を楽しむことになった。




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