姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
 宗明はゆらの部屋から出ると、そのまま西の丸へと向かっていた。

 こちらに住む若君政光も、このところ表情が沈みがちだったから、そのご機嫌伺いという訳だ。

(あちらもこちらも憂いごとばかりだ)

 何となく恨み節になってしまうのは、昨夜の出来事のせいだろうか。

(あれは、幽霊などと言うような生ぬるいものではなかった)

 もっと禍々しい、負を背負うモノ。
 古来より人の闇に巣食うと言われる、“妖”アヤカシと呼ばれるものではないのか。

(それが、ゆらさまを……?)

 考えたくもない事を考えているうちに、いつの間にか政光の居室の前に着いていた。

「お前。寝てないな」

 はっとして声のした方を向けば、脇息に凭れながら書物を手にしている若君が憮然としてこちらを見ていた。

「おはようございます」

 頭を下げ、敷居際に腰を下ろす。

 政光とゆらは良く似た兄妹だった。
 母は異なるから顔の造作はまあ血の繋がりがあるのかなあと思う程度だが、性格は本当に良く似ていた。

 どちらも自由を好み、その割にはとても周囲に気を遣う。政光の方が世継ぎという立場である分、自由な面は抑え気味ではあったけれど。

「また書類の見直しなどという無駄な事をしていたのか?」

「いえ。ゆらさまのお部屋で宿直とのいを」

「ゆらの?」

 政光の眉がピクリと動いた。

「何故、お前が?」

 それはお前の役目の範疇(範疇)だったか?

「少々憂慮すべき事態が起こりまして」
「何だ?」
「その、ご報告も兼ねて参りました。昨夜、ゆらさまのご寝所に物の怪が現れまして成敗した由にございます」
「物の怪……だと?」

 政光は何とも言えない表情で幼馴染を見返した。

 この男が近くに侍るようになって十数年。こんなに現実味のないことを話した事は一度としてない。

 むしろ物の怪など信じていない筈だった。

「ご安心を。妄想ではございません。一昨日の夜初めてご寝所に幽霊が出たと申され、怯えたご様子でいらっしゃいましたので、それでは一応見張り番をと宿直した次第なのです。私も半信半疑ではありましたが、丑三つ時、ゆらさまの枕元に現れ出で、恐れながらご寝所に失礼し切り払いました」

 淡々とした口調の宗明は嘘を話しているようでもない。

(いや。そもそも嘘などつく男ではないな)

 ならば、本当に物の怪などと言うものが、ゆらの前に現れたのか?

 政光は神妙な面持ちになって宗明を見た。

「切り払った、という事は、ソレはもうゆらの前には出てこないんだな?」
「分かりません」
 宗明はそう即答した。

「今夜も、いえ当分の間お側に侍り、お守りしたいと思っております」

「……お前がいれば安心だ」

「は……。お輿入れを控えておられる大切なお身体ですしね」

 その言葉に政光は小さく目を見張った。

「おま……それを言うなよ……」

「しかし、実際そうですし」

「だから、自分で自分の傷を抉るようなこと言うなって言ってんだよ」

 宗明は小さく笑んだ。
 己が傷付くことなど、元より覚悟の上だ。

「お輿入れなさるその日まで、全身全霊をかけてお守りする。それが私の役目です。若」

 晴れ晴れとした顔だった。

 心にどれだけ傷が付こうとも、彼は姫の側にあり、彼女を守り続ける。
 彼女が他の男に嫁ぐ、その日まで。

(俺は、いつになっても、その境地に達することは出来んな)

 政光は嘆息し、続いて最近起こった事案を報告する宗明を力なく見返していた。

 出来ることなら、自分がゆらの元に馳せ参じ、彼女を守ってやりたい。
 だが、それは無理なこと。
 政光は兄であり、世継ぎの君。母違いとはいえ妹であるゆらの側にいるには彼の立場は重すぎる。

 ならば、せめて信頼する宗明に……。

 それは、己の暴走しそうな心を宥める為に、何度も何度も自身に言い聞かせて来た事だった。

 彼の抱える闇に差す、一条の光たる異母妹を案じながら……。





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