姫恋華〜ひめれんげ〜【改稿版】
 梅雨の雨が降り続ける。

 長雨に応えているのか、子供たちも家の中でおとなくしているようで、この日の長屋はとても静かだった。

 雨の音を聞きながら、いつものように板間に転がり、うとうとしかけた時だった。

 ほとほとと障子戸が叩かれる音に目を開いた。

 常に体の側にある太刀に手を伸ばす。

「風間、新之助どの?」

 低く、くぐもった声が聞こえた。

 気配を殺して刀の柄(つか)に手を掛けた。

「某(それがし)は近藤さまの使いに候」

「!」

「風間どの。某と同道願いたい」

 のろのろと障子戸を開けると、ぎょろりとした目とぶつかった。

 使いの侍は、有無を言わせぬ様子で新之助を見返した。

「……近藤さまが?」

「いかにも」

 新之助は一瞬唇を固く引き結ぶと、太刀と脇差を腰に差し外へ出た。

「ご案内、お願い致す」

 小さく頷くと、使いの侍は先に立って歩き始めた。

 目的地は存外近くにあったようだ。

 長屋近くの堀割に面した、こじんまりとした小料理屋の前で男が立ち止まった。

「こちらの二階にお待ちだ」

 新之助はこくりと頷くと、侍の後に続いて暖簾をくぐった。

 小料理屋のおかみは事前に言い含められているのか、新之助の顔を見ただけで階段に誘う。

「ごゆっくり」

 おかみの声を背に受けて階段を上って行くと、二階に部屋は二つ。

 その奥から障子を通して灯りが漏れていた。

「お連れ致しました」

「入れ」

 男に促され障子を開け、いざって部屋に入ると、廊下にいた侍の気配が一瞬にして消えた。

 はっとして振り返ると、彼の姿はもうなかった。

「あの者のことは気にせずとも良い。それよりも、時間がない。こちらへ」

 室内の明かりは極力落としてあり、その中に新之助を呼んだ者の顔が浮かび上がっていた。

 障子を閉め、平伏した新之助に、その男が掛けた声は存外優しいものだった。
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