大好きな君へ。
 宿で又写経を始めた。
でもそれは般若心経を省くためではない。


『願わくばこの功徳を以て遍く一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に仏道を成ぜん』

この回向文まで唱えることにしたのだ。


供養のために二人で出来る限りの礼を尽くすと決めたからだった。


予定通りにことが進まない訳は、まだ馴れない般若心経などの読み上げることにもあったのだった。


その上での、私の自己中的な行動は棚に上げることにしたのだ。


それで良いことにしたのだ。
何も五日間だけで回れなくても次の土日がある。
そう思えたからだった。




 隼はお風呂へ出掛けて、部屋には私一人だった。


「若いに偉いわね」
突然声がして振り向くと女将さんがいた。

私は首を振った。


「もしかしたら彼、相澤隼さん?」

いきなりの言葉に戸惑いながらも頷いた。


宿の申し込みも、宿帳の名前も、中野優香他一人だった。


「彼、ずっと苦しんで来たのです。この前の御両親の記者会見で明らかになった事実も知らなくて……。代理母だとか、日本に居てはならない存在だとか脅されて身を隠すように生きて来たのです」


「偶々だけど記者会見は見たのね。だから察しは付くわ。貴女達のお互いを思い合う心もね」
女将さんはそう言って調理場に戻って行った。


(お互いを思い合う心か……)
それを言われると気恥ずかしい。
私はただ隼が好きだから一緒に此処にいるだけなのだ。


ママのお墓の前でキスされた時、探していたパズルのピースを見つけた気がした。
言い訳だと思ったけど、あの付き添い体験の日の出来事を語ってくれたから……

だから私は此処に居る。結夏さんと隼との間に出来た隼人君をこの子宮に迎える下準備のために……




 私はその時、何故か札所三番にあった子持ち石を思い出した。
私はお腹を擦りながら、隼人君が子宮の中に来てくれることを願った。



輪廻があるとしたら……
あの日の朝の最後の供養で隼人君を賽の川原から救い出せたとしたら……

私の子宮に来て、私と隼の子供になってほしいのだ。

それが隼の心を救う一番良い方法だと私は信じている。


隼はきっと勘違いしている。
光明真言と地蔵菩薩真言で救えるのは、水子だけだと言うことを。
それでも私はそれで良いと思っている。

隼人君を賽の川原から救うことが、結夏さんの希望だと信じているからだ。


だから私は丁寧に写経する。
私のエゴと未来の夢のために……




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