読書女子は素直になれない
第3話

 転校するという話を聞いてから、千晶は蓮と距離を取るようになった。蓮もその雰囲気を察し『こころ』を返却して以来、図書室に顔を見せない。蓮の気持ちを汲み取るならば、本の話をしたりして残りの一カ月を共に過ごしたい。反面、仲良くなり過ぎるということは別れの辛さが増すことにもなる。
 小学生の時からとっくに気がついていたが、千晶は蓮への想いに気付かないふりをしていた。しかし、もう会えないと知ったとき、心の内にある想いは溢れ自分でも抑えきれなくなっていた。この想いを形にするということは、必ず来る別れの瞬間が輪を増して辛いものとなることは明白で、このまま黙っていれば最小限の傷で済む。
 イジメから救ってくれた恩人とは言え、もともと深い交流もなかった相手であり今のまま黙っていればお互いに傷つかない。臆病な選択であると理解しつつも、千晶には現状を維持するだけで精一杯であり、自分から動く勇気も気概もない。

 三学期の終業式を終え蓮のことが気になりつつ下駄箱でうろうろしていると、予想外の相手から声を掛けられ緊張感が増す。
「よう、話すの三年ぶりくらいだな」
「後藤君……、何か用?」
 敵愾心剥き出しの千晶に翼は苦笑する。
「そう構えるなよ。普通に話があってきたんだ。オマエ、鷹取が転校するの知ってるか?」
「ええ」
「知ってたか。じゃあ、これでオマエを守ってくれるヤツはいなくなるな」
 言葉の意味を理解し黙っていると翼は噴き出す。
「冗談だよ。昔イジメてたことは今でも悪いと思ってる。だからと言ってはなんだけど、鷹取が居なくなって、もし困ったことがあれば俺に相談してくれ。力になる」
 思ってもみなかった申し出に千晶は目を見張る。
「どういう風の吹き回し?」
「単なる罪滅ぼし。用はそれだけ、じゃあな五十嵐」
 去って行く翼とは入れ違うように廊下の角から蓮が現れ、違う意味で再び緊張感が走る。
「お、五十嵐さん。今から帰るんなら一緒に帰る?」
 いつもと変わらぬ明るい表情に千晶は素直に頷く。今日で会えるのが最後だと思うと流石に無視できない。

 春風の吹く通学路を蓮が先を歩き、その少し後を千晶は追う。小学生の頃は同じくらいだった背丈も蓮が圧倒的に差をつけ高くなった。バスケ部ということもあるのかもしれないが、背の高い蓮は女子からもモテ、バレンタインにはチョコをたくさん貰っていたようだ。
 そんな蓮が自分を気に掛けてくれていることが不思議でもあり嬉しくもある。なんの根拠もないが、蓮を想う強さはミーハーな蓮ファンにも負けないと自負している。命の恩人のような存在であり、自分の人生を大きく変えてくれた相手でもあり、蓮のためなら命すら懸けられるような面持ちでいた。ただ、そんな想いを表にすることは出来ず、今のようにただ黙って歩く背中を見つめるしかない。

 しばらく歩いていると、通学路沿いにある公園に差し掛かり、蓮は何の了解も得ず公園へと足を向ける。戸惑う場面ではあるが千晶は黙って背中を追う。園内には小学生が野球をしており、賑やかな声が広がっていた。ベンチに座る蓮を見てから千晶も隣に座る。これから何が起こり何を話されるのか頭の中で自問自答するが答えは出ない。並んだまま野球の光景を眺めていると、蓮は鞄を開け一冊の本を取り出し千晶の前に差し出す。
「俺のおすすめの本」
 そう言って手渡された本の表紙を千晶は確認する。
「えっ!? 『山月記』?」
「ん? 何かおかしいか?」
「いや、名作だし、私の選んだ『こころ』と遜色ないくらいのセンスだと思う。でも、正直意外かな。鷹取君にはハードル高いって思ってた」
「何気に馬鹿にしてるな。まあちょっと難しい部分もあったけど、考えさせられるし凄い身につまされる話だった」
「そうそう、最後がちょっと切ないのよね」
「自分が自分でなくなることの悲しみと恐怖。でも本当の自分はそこにあって、猜疑心と虚栄心の葛藤、凄く心に響く話だった」
「うん、前におすすめした『こころ』もそうだけど、昭和初期の文豪と言われる作家の心理描写は凄い。SFや恋愛ものも好きだけど、印象的で記憶に残っている作品ってやっぱり名作が多いかな」
「この『山月記』もそうだよな。例えば李微が詩を披露するところなんだけど……」
 蓮の語る感想や意見に千晶は感心しながら聞き、そして自分の考えも述べる。ほとんど読書をしないはずの蓮だが、その意見や考えは的確で話していて千晶の心も弾む。『こころ』に至っては自分なら無理矢理部屋に入ると言って、それが蓮らしくって千晶は笑顔が零れる。
 笑い合いながら語っていて千晶は自分がなぜこの時間をもっと早い段階で持たなかったかを悔いる。本当ならもっといろんな作品に触れたくさんいろんな話ができかもしれない。そう悟った思った瞬間、千晶の目から涙が溢れ、恥ずかしさのあまり背中を向ける。
「五十嵐さん? どうしたんだ?」
「ごめんなさい、本当ならもっと早い段階でこうやってお喋りできたのに。もっとたくさん話せたのに。私が逃げたせいで、こんなギリギリになるまで鷹取君を一人にした。本当にごめんなさい……」
「なんだそんなことか。全然気にしてないよ。俺、てっきり嫌われたのかと思ってたからな。でも今日一緒に帰れて、こうやって小説の話ができて良かった。良い思い出になったからな」
「鷹取君……」
「それに、本があれば寂しくない。一人じゃないし、極端なこと言えば果てしない宇宙の彼方にだって行ける。それを教えてくれたのは他の誰でもない五十嵐さんだ。五十嵐さんは本当に凄い人だよ。尊敬してる」
 蓮から語られる優しい言葉で余計に涙が溢れ止まらない。
「俺さ、転校が多かったし、出来た友達ともすぐ別れて結構一人のときが多かった。クラスに馴染んでも転校するとリセットされてまた一人だ。だから、心の底では孤独だった。でも、そう考えていた俺に新しい概念を教えてくれたのが五十嵐さんだったんだ。本の魅力を教えてくれたんだ」
(人気者で明るい鷹取君が孤独だったなんて。そうか、私と一緒で転校が多かったから故郷もないし、孤独になるんだ)
 涙を拭きながら再び向き合うと蓮が笑顔で口を開く。
「『山月記』の李徴と違い、本当の意味で、俺を孤独から救ってくれたのは五十嵐さんだ。ここに転校してきて、君に会えて、本当に良かった」
「それは私の台詞だよ。イジメられていた私を救って、人生を変えてくれたのは鷹取君だった。本当に、幾ら言葉を重ねても足りないくらい感謝してる」
「俺はきっかけを作ったにすぎないよ」
「そうだとしても、私は貴方に計り知れない恩を感じてる。それに……」
「それに?」
 胸の高鳴りを乗り越えるように千晶は言葉を振り絞る。
「それに、私は貴方のことが好きだから。だから、本当はずっと一緒に居たかった。たくさん本の話をしたかった。転校なんてして欲しくない。して欲しくないよ、鷹取君……」
 頬を赤くし泣きながら目をこする千晶に、蓮はふいに顔を近づけ唇と唇を触れ合わせた。突然のキスに千晶は驚き距離を取る。
「た、鷹取君!?」
「びっくりした?」
「び、び、びっくりって、今のキスでしょ?」
「そうだけど?」
「わ、私、初めてだったんだけど」
「俺も初めて。だからおあいこってことで」
「いやいや、意味通ってないから」
「俺も、ずっと五十嵐さんのこと好きだったんだ。だから問題ないだろ?」
 人生初の告白をし、その告白をキスと言葉で返され千晶は呆然とする。しかし、想いが通じたことを知り実感が湧いてくると涙は止まり、急激に照れが溢れる。
(これって両想い? 嘘、相手は人気者でカッコイイ鷹取君だよ!? それが私みたいな朴念仁みたいな女を好きだなんて……)
「あの、鷹取君。もしかして、からかってるとか冗談とか、そういうんじゃないよね?」
「冗談でキスしたりしないよ。ホントに好きなんだ……って何度も言わせるなよ、恥ずいだろ」
 顔を赤くする姿に告白が本当だったのだと察し心の中が熱くなる。
(嬉しすぎる。初恋でいきなりそれが叶うなんて。こんなこと小説の中だけだと思ってた……)
 照れながらも蓮を見つめていると、相手も視線に気がつきじっと千晶を見つめてくる。ドキドキしているとさっきのキスと同じように身体を寄せ、今度は正面から優しく抱擁した。
「俺、五十嵐さんのことずっと忘れない。例え離れ離れになっても君のことをずっと想ってる」
「鷹取君。嬉しい、ありがとう。私もずっとずっと忘れない。一生忘れない」
 想いを確かめ合うと今度は千晶も合意の上で唇を重ねる。一足早い春の訪れと同時に迫る別れのときを胸に留め、温かな春風に包まれるかのように片時の幸せを感じていた。

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