読書女子は素直になれない
第4話

 現在、大学を卒業し今の会社に入社してから二年が経過した。勤務している会社は外資系の保険会社となっており、入っているビルも名の知れた会社が列挙する。千晶もその中でもオペレーター業務に従事しており、他の同僚はフロア内に五十人近く在籍している。二年も経てば仕事にも慣れ余裕が生まれてはいるものの、もともと人付き合いの苦手な千晶に仲の良い同僚はいない。
 業務関係においては普通にコミュニケーションが取れており、その点では問題はないが私的な交流もなく職場でも少し浮いている。同期入社の中村美優(なかむらみゆ)も千晶と同じように一人黙々と仕事をするタイプで、他の社員と絡むことはほとんどない。千晶と違う点は同僚に対しても愛想が全くない点で、他の女子社員からはお高くとまっていると煙たがられていた。なまじ美人で男性社員からも密かに人気があり、その点も許せないのだろう。
 いつものようにモニターに向かいデータ処理の仕事をしていると、女子社員のドンとされる新井歩美(あらいあゆみ)に呼び出される。陰ではお局の長とも呼ばれており、女子社員からは恐れられていた。
「今日会議に出される仕出し弁当の個数が一つ少なかったんだけど、貴女ちゃんと注文したんでしょうね?」
「はい、きっかり二十個注文しました」
「会長が急遽出席するって言ったでしょ? その分を何で買ってないのよ。それくらいの機転きかせなさいよ」
 反論したい気持ちがあるものの、状況がさらに悪化することは明白で千晶は素直に頭を下げる。歩美の取り巻きである二人の女子社員からもなじられ、ひたすら頭を下げて過ごす。そこへ先輩でもある夏目雛(なつめひな)が現れ、取引先から千晶に電話があると呼びに来る。仕事となると三人衆も解放せざるを得ず、黙ってその背中を見送った。
 デスクに戻り保留中の受話器を取った瞬間に通話が切れる。折り返しのため相手先を聞きに雛のもとに向かうと可愛くウインクされ、電話の相手が誰であったのかが推測される。三つ年上の雛は才色兼備という言葉が合致しており、先の古参三人衆すら手玉に取れるくらいの器量を兼ね備えている。それを以て、美優とは違った女子らしい可愛さや愛嬌もあり、社のアイドル的存在となっていた。美優と違い自他共に認められるような存在ともなると、イジメや妬み嫉みの対象にもなり難く、雛だけは女子社員の中でも別格の扱いとっている。噂ではあるが、会長の親族からも一目置かれているらしく、社長夫人が確定ではないかとも囁かれていた。

 高校から大学と一人でいることの多かった千晶だが、幸いなことにイジメられるようなことはなく平凡な生活を送っている。中学時代は蓮がいたということもあって安心していたが、高校以降はその不安も考えていた。そして、現在こうやって社会人になり、会社に入ってからイジメのような境遇に遭い、当時の陰鬱な気持ちが蘇える。学生時代とは異なり直接的な攻撃はないものの精神的なプレッシャーは大きく、行為等の質も重たい。特に長年勤めているアラフォー三人衆は、小学生時代の三人衆を彷彿させ、その姿を確認するだけでストレスが溜っていた――――
 

――午後、一人の昼食を済ませ、会社近くの公園で昼休憩が終わるのをボーっと待つ。春の到来を感じさせるように公園には桜が咲き乱れ、その光景に浮かれているOLが多数見られる。しかし、千晶にとって桜は別れの花言葉でしかなく、中学のときに別れて以来会うことのなかった蓮のことしか頭に浮かばない。
 蓮が転校して以降、手紙のやり取りは何通かあったが、高校に進学してからはその連絡がぷっつりと途絶えた。出した手紙もポストに戻り、連絡の取りようもなく傷心した。
 最後に渡された『山月記』は、蓮を想うかのように何度も読み返し、その表紙を見る度に想いも再燃する。ずっと忘れないと言ってくれた蓮の言葉は今も心に深く残っており、千晶の中ではまだ遠距離恋愛が続いているものだという思いがある。一方で、十年前の口約束をずっと忘れずに思っているなんてことが現実的でないことも理解しており、新しい恋に進むべきなのかと思うこともあった。その転機は高校生の頃――――


――イジメっ子三人衆のリーダーでもあった翼は、高校も同じところに進学し、有言実行で千晶を遠巻きに見守っていた。最初は気持ち悪いと感じた翼の存在も三年以上経過した頃には慣れ、もう十分罪滅ぼしはしてると断ったこともあった。しかし、それに対して返ってきた言葉は衝撃的なもので、千晶は自分の耳を疑ったほどだ。
「俺が五十嵐さんを守るのは、蓮との約束だからだ。高校卒業までは他意もなくただ純粋に守る。それ以降は、俺の自由にしていいってことになってる」
「自由ってどういう意味?」
「俺も蓮と同じ立ち位置に立っても良いって約束だ。つまり、俺が五十嵐さんを好きになっても文句はないってこと」
 翼から語れた告白はただただ驚くことばかりで、イジメていた時期はちょうど親が離婚し家庭が無茶苦茶になっていたことも知った。だからと言って許せることでもないが、それは本人も自覚しており、生涯に渡りずっと謝り続けると言い切る。それと同時に、好きだったからこそのちょっかいやイジメであったことも暴露し、いつか許せるときがきたら正式に付き合いたいとも言われた――――


――大学が別々になり疎遠になったものの、お互いに地元が同じということもあり、機会があれば会うことはいつでもできる。そして翼の告白を受けてから五年以上が経過し、イジメの問題もとっくに割り切れてはいるものの、翼と付き合うという選択肢は出てこない。嫌いではないが、自分の中にある蓮への想いが色褪せない以上、なかなか新しい一歩は踏み出せない。
 蓮と翼のことを考えながら一人ベンチに座る。春風により地面に舞う桜の花びらが靴の上に乗り、千晶は花びらをそっと手に取り見つめる。
(桜色の花びらは別れの色。この花を純粋に綺麗だと感じられたのはいつだっただろうか。私が綺麗に咲けたのはあの一瞬だけだった気がする。このまま、蕾のまま、私は散って行くのかな……)
 自分の身の上を桜に投影し苦笑いする。昼休憩の時間もあと少しとなりベンチを立つ。三人衆の待つフロアに行くのは気力もいるが、社会人としての責務もあり気合をいれて会社へと向かう。

 途中の交差点で信号待ちをしていると、突如女性の悲鳴が聞こえその方向を向く。横断歩道の先では自転車と車が事故を起こしたようで人が集まっている。その車の下に挟まれる女性の姿を見た瞬間、千晶は血の気が引き立ちつくしてしまう。その見覚えある顔に震えていると、背後からスーツ姿の男性が颯爽と駆け抜ける。
 駆けつけた男性は周りの野次馬に支持を出すと、男性勢が総出で集まり見事に車を傾け持ち上げた。その隙に女性数人が轢かれた女性を引きずり出し、携帯電話で慌てて救急へと連絡する。意識のなさそうな美優を見ると、千晶は堪らず駆け寄った。
「中村さん! 中村さん、大丈夫!? 目を覚まして!」
 美優の身体を掴んだ瞬間、その手はスーツ姿の男性に掴まれ制止される。
「さっき脈を計ったが命に別状はないと思う、出血もないしな。軽い脳震盪だろう」
 そう言った男性の横顔と唇の傷、そして次の台詞で心の中で止まっていた恋の針が動き出す。
「なんてことねぇよ」

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