インセカンズ
「ヤスさんは何をやっても完璧ですよね。だから、際立ててこれというのを見つけるのは、ヤスさんの場合難しいです」

緋衣だけが知っている彼の良さは、恐らく誰もが気付いていることだろう。でも、それ以上を知ってしまうのは怖い。初めて身体を重ねたあの日から彼の雰囲気に引き寄せられて、ふわふわとした夢を見ているままでいい。

「それ褒め言葉かよ? もしそんなの見つけても言うなよ。改めて口に出されるのも恥ずいしな」

「じゃあ、心の中に閉まっておきますね」

もし見つけることができたなら、揺れる気持ちと一緒に人知れず心の奥底に沈めてしまおう。誰も傷つかないために。

「そうしといて。近くだし、駅まで送っていく」

「いえ。いい加減、早く帰ってあげてください」

安信の方から背中を向けてもらわないと、自分からは手放せそうにない。誰彼にでも優しい‘優しさ’なんて欲しくはなかった。

緋衣が大丈夫だと言えば、安信は一瞬顔を曇らせたものの頷く。

「そうだな。これ以上はコンビニ行ってきたじゃ済まない時間になるよな」

「そうですよ。だから、ここからは道草食わないで、真っすぐ帰ってくださいね」

垣間見せた憂いの表情は何を物語っているのだろう。不用意にそんな顔を見せられると気になってしまう。本当は、恋人とあまり上手くいってないのだろうか。寂しさから気に掛けてくれるのだろうか。喉まで出掛かった言葉は呑み込むしかない。緋衣は自分から境界線を引いたのだから。

「そうするわ。じゃ、今後こそ本当に、また月曜な」

「はい。良い休日を」

「ハハっ。アズもな」

最後の挨拶を交すと、お互いに背中を向けて歩き始める。

緋衣は、一歩二歩と足を進めて、駅が見えてきたところで後ろを振り返る。人混みに紛れて、次の角を曲がろうとしている安信の小さくなった後ろ姿を見つける。

緋衣の様に振り返ってみたのだろうか。帰る場所がある相手を追い掛けるなんて寂しすぎるのに、疑似恋愛だなんて割り切るには、遠いところまできてしまっているような気がする。

緋衣は、再び前を向いて歩き出す。今でも亮祐が大切に想ってくれるなら、全てを忘れて彼の元へと帰ろう。それがいい。そうしよう。そう思う度にちくちくとする胸の痛みは誰に向けられたものなのか、今は考えたくはなかった。
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