インセカンズ
「……根に持ってますね」

「ああ。しばらく引きずるから、よろしく」

「よろしくされたくないです。一杯おごるので、きれいさっぱり忘れてください」

「いいねぇ。その心意気。すっかり気分直ったわ」

途端に顔をぱぁと明るくしてみせる安信に、緋衣はぼそり「げんきん……」と呟く。

「何か言ったか~?」

その声は安信の耳にしっかりと届いているが、彼は敢えて聞こえない振りをする。

「何も言ってませんよ。あ、そこの2階ですね」

緋衣は気を取り直すと、ビルの2階を指差す。

「ヤスさん、先どうぞ」

入口まで階段の為、ワンピース姿の緋衣は安信に先を促す。

「ケチだな」

「わざわざ好んで私の見る必要ないですよね」

小さく舌打ちをする安信。どこまでが冗談なのか分からない。

「トークの潤滑油は結構です。私がこの世で一番嫌いなのは、酔っ払いのギラギラしたエロおやじです。ヤスさんはまだ20年先の話ですよ」

「分かったよ。じゃあ、俺がかっこよく飲んでる姿見ても惚れんなよ」

「そんな前置きいらないです。なんかもうヤスさんのこと、ギャグにしか思えなくなりそう……」

緋衣は、これまで抱いていた安信像がガラガラと音を立てて崩れていく様を想像する。

「いい男つかまえて言うよな、アズ」

「だって、事実だし」

「こうなったら、アズを俺に惚れさせて、前言撤回させてやろーかな」

「そんな駆け引きめいた言葉、28の女には通用しないですよ」

ふふん、と楽し気に鼻を鳴らす安信に、緋衣はげんなりする。本当にどこまでが本気なのか分からなくて困ってしまう。
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