インセカンズ
安信は暫くの沈黙の後、おもむろに口を開く。

「アズはさ、好きだと気付いてから相手が遊び人だって分かった場合どうすんの?」

「即座にこちらから去りますよ。学生時代じゃあるまいし、同じ土俵に立ってない相手と恋愛してる暇はありませんから」

「プライド高いな。そうか……。じゃあ、アズはまだ知らないんだな。自分の自我さえ相手の一部になってしまうような、相手の中に自分が共存するような快感を」

遠い日の出来事を思い出しているのだろうか。少し目を細めながら話す安信の横顔には初めて見せる哀愁がどこか漂っていて、緋衣は一瞬ぎくりとしてしまう。

「私にはまだそういう経験はないですね。ヤスさんはそういう恋愛をした事あるんですか?」

「いや。言ってみただけで俺もアズと同じ。昔そんな事言ってたヤツがいたなってふと思い出した」

安信は気を取り直すように煙草を咥える。

「それって、元カノの話とかじゃないですよね? そんな激しい恋をしちゃったら、身が持たないでしょうね。他の事は何もできなくなりそう」

「確かにな。大人はやる事いっぱいあるしな」

「でも、その人がちょっと羨ましいですね。過去にそういう経験してれば、人生感がまた少し違ったのかな。私には、そこまで誰かを愛せるような器はないような気がしてきた……」

ふと気付けばグラスの中身は残り三分の一になっている。緋衣は安信におかわりを確認すると、マスターを呼んだ。
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