インセカンズ
「あ! そろそろ亮祐さん、来ますよ」

楽しそうに弾む、女の声。

この声の持ち主が駅で見掛けた子だとしたら、とんでもないタヌキだ。若くしてその強かさを身に付けている彼女に勝てる気がしない。緋衣は電話を切った。

相手は、緋衣がここで電話を終わらせるだろうと踏んでいたに違いない。緋衣はそれが分かっていても、このまま耳を欹てて向こうの様子を窺おうとは思わなかった。

例え亮祐に似た男性の声が聞こえてきたとして、それが本当に彼なのかを確かめることはできない。そんな曖昧な事でやきもきするような時間を過ごしたくはなかった。

どっと出た疲れに、足元が一瞬よろめく。何度か深呼吸を繰り返してから化粧室を後にした。

「おせーよ、アズ。大きい方か?」

席へと戻ってきた緋衣に、安信は茶化すように言う。

「違いますよ。仮にもしそうだと答えたら、どうするつもりなんですか?」

「そりゃ、続けて聞くだろ普通。おまえの健康状態気になるだろ」

「もうっ! ふざけないでくださいよ。小学生じゃないんだから」

「そっちが聞いてきたんだろ」

「そうですね。失礼しました」

緋衣は、ブランケットをたたみながら頬を膨らませる。

「なんだよ、怒ったのか?」

「怒ってませんよ。ヤスさんのは、全部冗談だって分かってますから」

「あそ。おまえは、すっきりしてきたはずがイライラしてるけどな」

「イライラなんて……っ」

緋衣は、言葉にした途端、はっとして口を噤む。

「ほら、してるだろ」

安信は、小さく溜息を吐くとちらりと緋衣を見る。。

その視線が妙に突き刺さって、緋衣は自己嫌悪で項垂れる。どうやら、安信には隠し事ひとつできないようだ。軽口を交しながらも、節度は保っているつもりだったのに。
< 73 / 164 >

この作品をシェア

pagetop