インセカンズ
「……ヤスさん、この後、予定ありますか?」

緋衣は車窓から外を眺める。窓越しに安信が窺っている姿を垣間見て、気付けば誘いの言葉を口にしていた。

「こんな時間だ。何もないけど」

「よかったらもう一軒行きませんか?」

緋衣は安信に振り返る。すると、彼は穏やかな目をして頷く。

「俺は構わないよ」

「じゃあ、決まりですね」

「おまえ、タフだよな」

「うわばみなだけですよ」

緋衣は、口元だけで微笑むと再び窓の外を見た。

一人では耐えられないという訳ではない。ただ、また眠れなくなるのが怖かった。

終点に到着すると、在来線に乗り換える。安信のマンション周辺で飲む事にした。

「なぁ、アズ」

最寄り駅で下りて店に向っていると、少し前を歩いていた安信が足を止める。

「酒に溺れんのと肉欲に溺れんの、どっちがいい?」

そう言って振り返った安信に、緋衣は軽く笑う。

「なんですか、それ」

「この前の約束は有効か?」

「約束……」

そう呟いて思い出す。まるで言葉遊びのように、駆け引きをした夜の事を。緋衣はふと自分の爪先に視線を落とす。

「……どっちもじゃ、ダメですか?」

やけになっている訳ではない。でも、緋衣にはそれが今のような気がした。

顔を上げた緋衣の表情に、安信は思わず息を吞む。彼女は、自分が今にも泣き出しそうな目をして微笑んでいる事に気付いていない。安信は、強がる緋衣が可愛く思えて頬に手を伸ばそうとしたが、すぐにその手を戻す。

「いいな、それ。気に入った。ほら、行くぞ」

安信は代わりに、緋衣が思う彼が一番魅力的に見える角度で笑うと、彼女を促した。
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