インセカンズ
やけに余裕のある態度から、相手は緋衣とは面識がない社外の人間だと分かった。それにしても、完全に遊ばれている。

緋衣は、抱える蟠りをコツコツと鳴るヒールの音に乗せてエレベーターへと向う。

まだ身体には十分余韻が残っている。その状態で階段となるとさすがにきつい。安信は遠回しにエレベーターを使っても大丈夫だと言っていたが、そうと思しき相手と対峙するのは避けたいという思いもある。

迷いながらエレベーターホールに近付くと、自分のものとは違うヒールの足音が突然聞こえてきて、緋衣は内心身構える。

まず始めに目に入ったのは、艶やかなゆる巻きのロングヘア、それと、リップで彩られた整った形の唇だった。

緋衣の事を住人だと思ったのか、擦れ違いざま相手の方から交してきた挨拶に、緋衣も同じように応えた。

そのまま何食わぬ顔をしてエレベーターに辿り着いた緋衣だが、これまで聞こえていたもう一人の足音もぴたりと止んだ事に気が付いて、少しの躊躇いのあと履いていた両足のパンプスを脱ぐと、今きたばかりの廊下を壁伝いにして忍び足で戻る。

こっそり窺えば、彼女を出迎える為に安信が玄関ドアを開けたところだった。安信は、彼女が持っていたエコバッグを取り上げると、もう片方の手で彼女の肩を引き寄せたところでドアは閉まった。

ほんの少しまえまで緋衣を抱いていたその腕で、平然と他の女性へと手を伸ばす。やはり、安信は噂通りの男だったじゃないか。何も今さら驚くことも嘆くことはない。緋衣にだって、微妙ではあるが恋人はいる。

ばからしい。まさか自分がこんなマネをする日が来るなんて思ってもみなかった。我ながら情けなく思えて、緋衣は深い溜息を吐くと、両手に持ったままだったパンプスに片足ずつ爪先を入れていく。

待っていたエレベーターがやってきて箱の中に乗り込んだ緋衣は、防犯窓に映る自分をぼんやり見つめる。

いつまでもこんなことを続けられないと分かっているのに、安信から誘われると断れない。もともとが彼自身に吸引力や雰囲気がある為、そのような人物から誘われて拒む方が難しい。決して本気にならず、遊びなれたモテ男に遊んでもらうくらいでちょうどいい。
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