裏腹王子は目覚めのキスを
「手、洗ってきなよ」
「手? な、なんで……?」
「落ちてるものを拾わなくていいよ。ここは日本とは違うんだし、余計なことはしなくていいから」
突き放すような言い方に、わたしは唖然とする。
「余計なこと……?」
目を向けると、女の子は女性に手を引かれていた。
母親がカバンにしまったのか、もうその手にはボールを持っておらず、しきりにこちらに視線をよこしている。
目が合うと、彼女はもじもじとお母さんの陰に隠れてしまった。
ボールのお礼を言いたいのに、恥ずかしくてどうすればいいのかわからない、といった感じだ。
微笑ましくて、わたしはつい頬を緩めた。
それから、ゆっくりと席を立つ。
胸の奥では反発を覚えているのに、脳は彼の言葉に従えと指令を送ってくる。
こういう場合は逆らうよりも、従ってしまったほうが波風は立たない。
「洗面所、行ってくるね」
そう言い残して、わたしは光沢を放つほど磨かれた床に足を踏み出した。
脳の一部が、すっと急激に冷え込んだような気がした。