サクラと密月




その日はひんやりとして、吐く息が白くなった。



何度目かの呼び出し音で彼が電話に出た。


いつもと違い、声がかすれている。


「こんばんは、風邪ひいたって聞いて。来ちゃった。」


そう明るく言ってみた。



嫌がれるかもしれない。




そうしたら、お見舞いに買ってきた食べ物だけ置いて帰ろう。


そう思っていた。


ところが彼は「今行く、そこで待ってて。」と言って電話を切った。



暫くすると彼が出てきた。


顔には大きなマスクをしていた。


灰色のパーカーのフードを頭にかぶり、まるで悪いことしにいくみたいな恰好だ。


いや、ごめん、病人らしい格好だった。


 今度は私が笑ってしまった。


彼はそんな私を見て溜息をつく。


「ごめん、大丈夫、じゃないよね、差し入れもって来た。何も食べてないかも


って思って。」



でも病人って、大概我が儘だ。


普段から甘え上手な彼だという事、すっかり忘れていた。


「俺、しんどくて料理作れない。作って。」


そう言うと、私の手を掴み引っ張っていく。


マスクに少し隠れた目は優しく笑っていた。


 私は少し安心した。嫌がられてないみたい。



私は引かれるまま、彼の部屋へと足を踏み入れた。



彼が私の後ろで部屋の扉を閉めた。


そしてそのまま何も言わず、彼に抱きしめられた。


「男の部屋に来るって意味分かってるの。」


そう耳元で囁かれた。


負けない。


「そっちこそ、病人てこと忘れてるでしょ。」


そう言って、彼からそっと逃げ出した。


「キッチンどっち。」


そう言って部屋の奥へと進もうとした。


「駄目だ、歩けない、助けて。」


 そう言ってまた後ろから抱き付いてくる。


本当甘え上手なんだよね、ハルって。


「ありがと、来てくれて。スゲー嬉しい。」


私の胸ところで繋がれた彼の手。


  私はその手を上からぎゅっと握りしめた。


「ありがとう、部屋に入れてくれて。ストーカーと思われるかもって思った。」


そして振り返り、思い切って背伸びをし、彼の頬にキスをした。


「さ、なに食べる。」


「大丈夫、愛果。俺のお腹の方が心配かも。」
  

もう、作ってやんない。


そう言った私。


二人で笑った。

 
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