碧い人魚の海
「でも、それを言うなら今は、座長さんではなくてわたくしが、あなたにとっては不愉快な相手ってことになるのではなくて? だって今は、わたくしが、実質上のあなたの生殺与奪権を握っているのですもの」

 ルビーは黙っていた。「奥さまがあたしを殺そうとなさらないのでしたら別に不愉快じゃありません」と答えるのも変だし、どう返事をすればいいのかわからなかったのだ。
 以前舞姫が説明してくれた話によると、所有者が奴隷を殺した場合の罰則はあるにはあるが、軽い場合は罰金で済むということだった。悪くても禁固刑になるぐらいだそうで、死刑や終身刑のような重い刑罰は科せられない。だから、所有者が変わったからといって、絶対に殺されないという保証はないと考えていい。
 貴婦人はルビーの沈黙を気にする風もなく、楽しげに話を続ける。

「だけど、わかりやすい相手というのは見ていて楽しいものよ。にこやかにほほ笑みを交わしながら、腹の底では何を考えているのか全然わからない人たちばかり相手にしていると疲れてしまうの。人魚がいい子にしていたら、そのうちそういう人たちにも会わせてあげることになるかもしれないわね。もし興味があれば、ですけれども。
 とにかくわたくしにとっては、座長さんはとても楽で愉快な相手。たとえばね、さっき座長さんの前で、あなたにいろいろ聞きたいって言ったときに、彼、いやぁな顔を見せたでしょう。座長さんが気にするような出来事が、最近見世物小屋であったと思うのだけれど。何があったのか教えてくれる? それはあなたが人魚でなくなってしまったことと関係あるの?」

 一度言葉を切ってルビーの表情を見た貴婦人は、口元に笑みを浮かべた。
「あるのね」

 貴婦人に促されてルビーは、水槽に閉じ込められたときのことを説明した。
 それを聞きながら貴婦人は、細かい質問を次々とぶつけてきた。
 おかげで最初はごく手短に済ませるつもりで話し始めた出来事だったにもかかわらず、気づけば特に言うつもりのなかった細かい点まで説明させられていた。
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