囚われの姫
明け方、朝日が登り始めた頃、俺の瞳にもようやく光が灯った。
「………やまと…さん…?」
掠れた声で小さく呼ばれた。
虚ろな瞳は俺を移しているようだった。
気づけば彼女を抱きしめていた。
久しぶりに聞く彼女の声に安堵と喜びでどうにかなりそうだ。
ただ彼女を抱きしめていると、背中に温もりを感じ、彼女が抱き締め返してくれている。
「……大和さん、……泣いてるの?」
彼女の声は穏やかで静かだった。
「……助けてくれてありがとう。」
違う。
違うんだ。
俺は捜査の為に君を利用した。
君が攫われるのをただ見ている事しか出来なかった。
捜査を優先させた。
最低な男なんだ。
彼女が目を覚ましたらすぐに本当のことを告げて謝ろうと思っていたのに、言葉にならない。
生きている。
話している。
暖かい…。
ただただ夢中で彼女を抱きしめていた…。
****
あの後、まともに彼女と会話も出来ないまま俺はいつも通り出勤するしかなかった。
職場では、昨日の俺の取り乱し方が尋常ではなかった為、何かしらの関係がある事はバレているだろう。
彼女はあの後無事退院でき、今日は家でゆっくり休むようだ。
父親の方も一命を取りとめたようで、未だに昏睡状態ではあるが数日すれば回復へ向かうと言われている。
俺はその日の夜、出来る限り早く帰り、車で彼女のマンションまで向かった。
彼女には、とりあえず1週間は困らない程度の荷物をまとめておくように伝えてある。
マンションに着き、彼女の部屋に向かうといつも通りの様子で彼女はそこに居た。
その姿に違和感しか感じない。
明らかに無理をしているのは明白だった。
俺の事を問い詰めることもなければ、怯えていたり、落ち着けずに不安になっている様子もない。
彼女の荷物を持って車へ運び、俺の家へ向かう。
彼女のマンションは組織の連中にバレている。
わざわざ再び彼女を誘拐する事は考えにくいが万が一という事もある為、他に頼れる身内がいない彼女に早めに引っ越す事、それまでの間しばらくは俺の家で暮らすように提案したのだ。
俺の家へ着くと、彼女はまず俺の腹を一発殴ってきた。
全くもって痛くも痒くもない可愛いくらいの一撃。
痛みではなく、驚きで俺は数秒くらい止まってしまった。
「…大和さん、私に謝ろうとしてるんでしょ?私、そんな事一切望んでないです。だから、これでお相子って事で。」
「……こんな事でお相子になんてなる訳ないだろ。」
彼女の頬には殴られてできた痣、首には切られた傷がガーゼで覆われている。
「なるんです。私は謝られるより、本当の事を教えて欲しい。今まで教えて貰えなかった事を全部教えてくれる?私はやっぱり教える価値もない女だから嫌?」
「………っ!そんな事は思ってない!」
「私は大和さんが好きだから、こんな事件があったのにおかしいのかもしれないけど、あの時大和さんが助けに来てくれて本当に嬉しかった。」
お願いだから、そんな事を言わないでくれ。
"お前のせいだ"と怒りをぶつけて欲しい。
俺みたいな人間は彼女には相応しくないのだから。
「……本当は真理花が連れ去られる前から張り込んで見ていた。あの時、助ける事だって出来たのに、俺は仕事を優先させて、真理花を囮にした。最低の人間なんだよ。」
「それでも構わないよ。だって、あの店で私を見つけた大和さん、私よりも苦しそうだった。大和さんも辛かったよね…?」
「………」
彼女はこんな時でも…
更に自分の事を許せなくなる。
彼女はどうしてこんなにも綺麗なんだろう。
こんな俺をどうして気遣えるんだろう。
父親だった男に傷つけられ、誘拐された。
訳の分からないまま、知らない男に一時とはいえ剥き出しの肌を見られ、もしかしたら触られたのかもしれない。
挙句の果てに、気を許していたであろう人間に最悪の状態まで助けても貰うどころか仕事のために黙認されていたのだ。
「…病院で眠ってる間も、大和さんがずっと謝ってる声が聞こえてたよ。体がきつくて起きれなかったけど本当はずっと聞こえてた。」
「…」
「私のために泣いてくれたのはおばあちゃん以外で大和さんが初めてだよ。ありがとう。」
彼女は微笑みながらも静かに瞳から雫がこぼれた。
彼女が眩しい。
どうやったらこんなに綺麗に泣けるのだろう。
彼女の境遇は全くもって幸せとは言い難い。
もっとひねくれたり、ややこしいねじ曲がった考えをするように育ってもおかしくないのに。
普通に生まれ育ってもこんな風に育つことは珍しいはずだ。
現に平均的な家庭で育った俺は綺麗とは程遠いところにいる。彼女とは正反対の汚く汚れた場所。
彼女はどこかの女神の生まれ変わりなのではないかと疑いたくなってくる。
いや、きっとそうに違いないだろう。
「……俺は最低だよ。頼むから、礼なんて言わないでくれ。真理花が引っ越すまでの間、この部屋で自由に暮らしてもらって構わない。それまでの間、俺はここには現れないから。」
それだけ告げ部屋を出ていこうとするが、予想外の力で腕を抱きしめられた。
「……行かないで。お願いだから、大和さんまで私の前からいなくならないで……。1人にしないで……。どうして、分かってくれないの?」
「……俺じゃなくても、真理花を大事に思ってくれる人はこれからいくらでも現れるよ。」
「私はそんな事望んでない!」
初めて彼女が声を荒らげるのを見た。
「好きな人とただ一緒に過ごしたいだけなのに、どうして……。大和さんがいい。大和さんじゃない人なんていらない…っ」
「……真理花、俺を困らせないで。」
出来る限り冷たく言う。
本当は涙が止まらなくなってしまっている彼女を抱きしめて、その頬に触れたい。
出来ることなら「大丈夫だ」と頭を撫でて、涙が止まるまでずっと…
でもその資格は俺にはない。
始めから分かっていたことなのに。
彼女は静かに涙を流し続けながら、諦めたように荷物を持ち上げる。
「大和さんが出ていくなら、私は自分の家に帰ります。大和さんに迷惑をかける訳にはいかないので。」
どうやら彼女もかなり手強い。
「また狙われる可能性があるんだ。あの家にはしばらく帰らない方がいい。」
「狙われたらいけないんですか?」
「…え?」
「狙われても誰も困りませんよね?唯一私を心配してくれていた人も、もう私とは関わりたくない様なので。もう私のことは放っておいてください。私にも友達くらいいます。そこでしばらく身を置くようにしますから。」
「……」
そんな事を言われて本当に放っておけるとでも思っているのだろうか。
あぁ、駄目だ。
分かっている。
彼女にはもっと彼女を大切に出来る男を…
そう思うのに、まだ存在しない男にさえも嫉妬している俺がいる。
もう、戻れない。
どうにでもなってしまえ。
"許し"など要らない。
また、無理やり奪ってやる。
彼女が後悔しても、もう遅い。
彼女は懲りずに俺を必要としているなら、俺はそれにただ応えるだけなのだから。