囚われの姫


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病院のベッドで彼女は静かに眠っている。
大量の酒を飲まされていたようだが急性アルコール中毒にもなっておらず、体の傷も数日で治るものだった。


「……真理花、本当にすまない。頼むから早く目を覚ましてくれ……」


何度も願う。
一刻も早く無事に目を覚まして、生きていると教えて欲しい。
病院に運ばれてから数時間しか経っていないが、何日も経過しているように感じる。
今も俺の声は彼女には届かないようだった。
本当に"神様"という存在がいるなら彼女には幸せになる権利があるはずだ。

彼女が無事に目を覚ましてくれるなら代わりに俺が死んだって構わない。
この命を差し出して彼女が微笑んでくれるなら、俺を"許して"くれるなら、それで十分だ。

俺の職業は刑事だ。
彼女の事は"あの日"出会う前から捜査の関係で知っていた。


彼女の父親は麻薬の所持と密売で、数回逮捕されており、現在は違法風俗店に従業員として働いていた。売春を目的とした人身売買に近いような事にも手を出しているようだった為、出入りしている組織の尻尾を掴むため身辺調査をしていた所辿り着いた1人が彼女だった。

始めは、彼女も麻薬の密売に関わっている可能性も考慮していた。
しかし調べると彼女は全く父親と関わっておらず、生い立ちもあまり幸せとは言い難い幼少期を過ごしていたようだ。


あの日、あのバーで出会ったのは本当に偶然だった。
彼女がよくふらりとバーに行っては男と一夜限りの関係を楽しんでいることは知っていた。
捜査で、その男達に麻薬を密売しているのではないかと疑われていたからだ。
そして彼女が1度も犯罪を犯したことはない事も捜査で調べがついていた。

チラチラと彼女に話しかけようか迷っている様子の男が数名いるようだったが、早い者勝ちだ。
そんなに男の気を引く事のできる女も珍しい。
彼女と話がしてみたくなった俺は隣に座り、話しかけてみた。
彼女は始めは俺を怪訝そうに伺っていたが、だんだんと話す内に気を許してくれたようだった。

しょうもない世間話や、最近話題のドラマなど話をしても彼女は楽しそうに鈴を鳴らすような声で可愛く笑う。
こういうのを(ちまた)に言う"ギャップ萌え"というのだろうか。
彼女は一見すると色気漂う美人だが、話してみると中身は少女のような可愛らしさと幼さを持ち合わせていた。

確かにこれは可愛い。
男の気を良くさせるのが上手いのだろう。

彼女はどうやら野球が好きなようで、中学から現在まで趣味で野球を続けている俺の話は彼女のお気に召したようだった。

素直で、危なっかしくて、放っておけなかった。

"彼女の今までの男達と同じになんてなりたくない"と思いながらも、結局彼女の魅力に抗えなかった俺はその夜彼女と一線を越えてしまった。

どうしても彼女に俺の記憶を焼き付けたかった。
今までの男達の存在に嫉妬してしまう自分を止められなかった。

彼女を縛って無理やり犯す。
俺の方がよっぽど犯罪者のような事をしている。
それでも止めることなんてできなかった。
彼女は元々これを望んでいた事も知っているのだ。
案の定、彼女は嫌がる素振りを見せながらも俺を受け入れた。


彼女には沢山の嘘をついた。
素直な彼女は俺の言うことに一切の疑いも持たず受け入れていた。
人の事を信じれないと彼女は言うが、信じているから疑わないことを彼女は分かっていないのだろう。
本当の事など言えなかったし、言える訳もなかった。


仕事中に出来てしまった"一般の人"には無いような無数の体の古傷を聞かれて、咄嗟に"子供の頃、義理の父親にされた"と嘘をついた。

彼女は自分の境遇もあってか、かなりショックな表情をしながらも優しく傷を撫でてくれた。


"縛りながらじゃないとセックス出来ない"と嘘をついた。

頬を染めながら「縛っていいよ」と両手を差し出す彼女が余りにも可愛かったから、毎回彼女の体を縛っていた。
いつからか、本当に縛らないと興奮出来ないんじゃないかと自分を疑うくらいになった。


嘘を積み重ねる度、彼女を騙している苦しい気持ちと、俺の事を理由もなく信頼しきっていることへの優越感が増していった。

両方の感情が上手く両立するはずなんてないのに。


そうこうしているうちに、彼女の父親が娘を探しているようだという情報が入ってきた。

どうやら組織に借金をしていた父親が、とうとう目を付けられた為、娘を組織の経営している売春目的の違法風俗店に売り飛ばそうとしているようだった。
彼女に接近する為父親である河口(カワグチ)康夫(ヤスオ)は必ず彼女の近くに現れるだろう。そこで彼女を連れて店へと向かったタイミングでガサ入れする事になったのだ。

彼女の住むマンションにはその日から張り込みが付くようになったため、俺は気安く立ち入れないようになってしまった。

彼女には余計に連絡しづらくなった。
彼女と関係を持っていることなど言える訳もない。
(おとり)のように父親へ連れて行かれる日をただ待つしかなかった。

それでも俺はその状況を楽観視していたのだ。
警察が交代で張り込んで見張っている中で、彼女に危害が及ぶ余地などないと信じていた。


そして、ちょうど俺が張り込んでいた日に父親は彼女の前に姿を現した。
しかしその状況は最悪だった。
すぐにでも車から飛び出して、彼女を助けたかったが、結局俺は"刑事"という足枷を外すことができなかった。

嫌がる彼女を脅すように連れ去った父親の乗った車を追跡し、違法風俗店の摘発と、誘拐の現行犯逮捕へと至ったが、1番守りたかった彼女は見るも無惨な状態で床に転がっていた。

目の前が真っ黒に染まる。
他の刑事、警察官は従業員逮捕へと向かう中、俺は彼女に上着を掛け、抱きかかえて呼びかける。

同じ部屋に河口康夫が大量の血を流して横たわっていたが正直どうでもよかった。
この男は生物学的上、彼女の"父親"ではあるらしいが、彼女の生い立ちを考えると本当に血の繋がりがあるかも疑わしいくらいなのだ。
別の捜査官が河口康夫の方へ救急処置をしているようだったのでそっちに任せる。

彼女の呼吸を確かめると、かなり強いアルコールの臭い。一応息はしているようだったが途切れ途切れでか細い。
真っ青な顔をした彼女の頬は冷たい。
いつものように頬に触れているのに、冷たい。
いつもであれば頬に触れると幸せそうに微笑む彼女の笑窪(えくぼ)も見当たらない。

どうして
なんで

あの時、もっと…


悔やんでも悔やみきれない気持ちが増幅していく。

人生で初めて"絶望"を知った瞬間だった。


その後、すぐに救急車が来て2人は病院へ運ばれた。





そして今に至る。





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