囚われの姫
「だから、騙されてるって。結局相手の素性は分からないままなんでしょ?」
今日もお昼休みに同僚からお説教を受けている。
私がまだ彼と関係を続けていることがどうにも彼女は心配で仕方がないようだ。
心配してくれる友人がいることはとても有難い。
それでも、あの日の彼を信じると決めたのだ。
「心配してくれて、ありがとう。でも、私あの人が好きだから。信じたい。」
「本当、真里花って頑固だよね。まぁ、何かあったら私が話は聞くからちゃんと相談しなさいよ?知り合いに弁護士と刑事いるからいつでも紹介してあげる。」
「うん。ありがとう。」
******
彼は私の家庭環境を知っている。
私の両親がお互いに不倫していたことも。
引き取り手が居なくなった私を祖母が育ててくれたことも。
私が話したので彼は、私が容易に人を信じることが出来ない理由を知っている。
両親が離婚したのは、私が小学5年の時だ。
元々父親は酒癖があまり良くなくてほとんど毎日酔っ払っていた。
父親は定職に就くことなく、母親の仕事で私達は生活している状況だった。
そしてある日私が学校から帰ってくると父親と女の声がした。
女の声は明らかに母とは違って猫撫で声で耳障りな喋り方をしていたのを今でも覚えている。
私はそっと気付かれぬように居間を覗くと、そこには裸で抱き合う父親と見知らぬ女がいた。
小学生の私にとってはショックが強い出来事で、私は家を飛び出した。
母親が仕事から帰ってくるであろう時間まで公園で時間を潰した。
私が帰ると、玄関に母親の仕事用の靴がありホッとしたのは一瞬だ。
部屋からは母親と父親の口論が聞こえてきた。
いつも酔った父親と仕事から帰った母親が言い争うことに慣れてはいたが、その中にさっきの女の声も混ざっていた。
私はその口論が終わるまでずっと玄関にうずくまっていた。
早く終わって欲しいとずっと考えながら一晩中玄関で過ごした。
それからすぐに父親は私達の家からいなくなった。
母親からはもう父親は帰ってこないから、とだけ伝えられた。
すると、それから父親とは違う男が家に来るようになった。
男は母親と随分親しそうにしていたが、私には冷たかった。
私はあまりその男を好きにはなれなかったし、どうしてこんな男を連れてきたのかと母親に言いたかったが、私は言うことが出来なかった。
母親は、私よりもその男の方が大事そうだったからだ。
まるで、私の方が邪魔だと言わんばかりに「ご飯食べたなら早く寝なさい。」と怒られた。
私が眠れなくても、寝たふりをすれば男の獣のような呻き声と母親の甘えたような鳴き声が聞こえ始める。
そんな生活にもだんだん慣れてきていた頃、私は中学生になった。
最近母親はとても忙しそうにしていたが、何故か機嫌は良さそうで気味が悪いくらいにニコニコとしていた。
そして、母親からある日突然「ここに行け。」と言われたのは母方の祖母の家らしかった。
「やっとあんたを引き取ってもらえてせいせいする。もう私の邪魔はしないでね。目障りなのよ。」
それが、母親と交わした最後の言葉だった。
私は一度も顔を見たことのない祖母の家で暮らすことに何も感じなかった。
だが祖母が私を出迎えてくれた時、私は涙が出た。
祖母は私を抱きしめて、「もっと早くにあなたを迎えに行ってあげれば良かった。」と泣いていた。
祖母の家はとても暖かかった。陽だまりの中にいるように、私は祖母といると人の心を思い出すようになった。
家には、クロという猫もいた。
祖母はとても明るい人で、母親とは正反対だった。
私は一度祖母に、「お母さんと似てないね。」と言ったことがある。
すると、祖母は泣きそうな顔になった後「真里花には、話しておかないとね。」と言われた。
私の母親には、2つ年の離れた姉がいたそうだ。
姉妹は小さい頃はとても仲が良かったらしい。
しかし、姉は元々心臓が弱く入退院を繰り返していたそうだ。
姉は成長するが、成長に心臓がついていけないため、年々弱っていった。
祖母とまだ生きていた祖父は姉の看護や世話につきっきりになり、妹はほとんど放置状態になってしまった。
初めのうちは、妹も姉を心配して一緒にお見舞いに行っていたが「あなたは姉と違って勉強出来る体で学校にも何不自由なく通えるのだから、そんな暇があるなら勉強しなさい。」と怒られる。
姉の看病で疲労した両親を元気づけようとすれば「あなたは姉があんな状態なのによくヘラヘラしていられるね。心配じゃないのか。」と怒られた。
妹は、だんだん表情が無くなるようになったことに両親は姉に夢中で気付かなかった。
そして、姉が他界した時妹は静かに笑っていた。
とても嬉しそうに。
両親が、妹の異変に気が付いた時には全てが遅かった。
妹は、高校卒業と同時に家を出て行き両親とは音信不通になった。
そして、数十年ぶりに妹から連絡が来た。
「中学生になった子供がいる。姉に似ていて見てるとイライラする。あんたは姉が大好きだったからあの子供を気に入るだろう。引き取ってくれないか。」と。
祖母は泣きながら懺悔するかのように、私に話した。
「真里花は何にも悪くない。あの子をあんな風にしてしまったのは、私のせいなの。」
私は、今祖母と暮らすことができてとても幸せだと伝えた。
祖母も祖父も悪くない。自分の子供が病を患っていたら、看病しない訳がない。
子供がいつ亡くなるかもわからないというストレスは想像を超える。
祖父母も必死だったのだ。
祖母は私を抱きしめながら、「真里花は、本当に亡くなったあの子によく似ている。」と言った。