僕は悪にでもなる
救い
続く優しい歌声。心にしみる歌声が強く進んでいく。俺は目をあけた。

「君に預けし 我が心は
今でも返事を待っています
どれほど月日が流れても
ずっと ずっと待っています

それは それは 明日を越えて
いつか いつか きっと届く

春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき
夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く

夢よ 浅き夢よ 私はここにいます
君を想いながら ひとり歩いています
流るる雨のごとく 流るる花のごとく」

俺は掴んだ縄から手を離し、机からおりた。
虹美が必死で間違わぬようにみけんにしわを寄せて
不器用に三味線を鳴らす。
でも聞こえてくる声は美しく優しく。
透き通るような声。
歌は続く。

「春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに
愛をくれし君の なつかしき声がする

春よ まだ見ぬ春 迷い立ち止まるとき
夢をくれし君の 眼差しが肩を抱く

春よ 遠き春よ 瞼閉じればそこに
愛をくれし君の なつかしき声がする

春よ まだ見ぬ春…」

歌い終わった虹美は満面の笑顔で俺を見つめた。

「悪を断ち切り、愛をつなぐ。最後までやりとおしなさいよ!
ふぬけになって。どうするのよ。
愛をつないでよ。」

虹美の言葉に力がはいってくる。
俺はぽっかりと空いた心に重たく力づよい何かが埋まる。
たまった涙があふれてくる。

「まだ、大丈夫。幸一なら大丈夫。うん大丈夫」
虹美は下を向き、願いを込め涙をながす。

「ありがとう。ごめん。」
「うん」
「こんな俺のために、、、」
俺は虹美の膝元に額をつけて深い深い謝罪する。
「ちゃんと練習してきたのよ。しゃみせん」
にっこり笑ってくれた。
俺はうなずいた。
体をおこし、虹美を抱き締めた。かける言葉がない。深い深い感謝の気持ちは言葉にできない。強く抱き頭をなでる。

目の前にあるこんなに大きな愛を見失って。死を決意したさっきまでの自分が、たまらなくはずかしい。くやしい。

「俺、もうこんなことしないから、信じてくれ。ほんとにありがとう」
虹美もこらえつづけていた涙があふれ声がもれ、震えて泣いている。
たまらなく怖かったのだろう。
たまらなく安心したのだろう。

俺は本当に申し訳ないことをした。
ぎゅっとぎゅっと抱きしめて体で伝える。

そしてゆっくりと互いの体を離し、俺は虹美の肩を握ったまま
しっかりと強く強く見つめた。

虹美はうん、うん、と言うように頭を上下に動かしている。
すると虹美の電話が鳴った。

「もしもし」
「大丈夫、幸一家に帰っているわ。ありがとう」
そう言って電話をきった。

「だれ?」
「直樹、おばちゃん、雪美に弁護士さん」
「みんな。」
「探してたのよ。あんたを。みんなが、朝早くからね。」
「俺、職案行ってくる。」

虹美は安心したように、にっこりと笑いうなずいた。

そして俺は部屋をでて職案にむかった。
あー。息をしている。空気を吸っている。
魂がもどってきた。頭がはっきりとし、地面を踏みしめる感覚が
しっかりと体に伝わってくる。

澄んだ空気が鼻の穴を通り、肺に入り、息を吐くたびに意識が鮮明になってゆく。
さっきまでの滅びかけていた感情が、魂が嘘だったかのように目が覚めた。

空を見上げればそうだいに広がる青空。
俺はこの空が地獄の始まりだとさっきまで思っていた。
全ての愛を見失い、死のうとしていた。
もうどこにも愛も幸せもない。生きる意味を失い自ら死を選んだ自分が、その決意がたまらなく怖く感じる。

あー。おそろしいことがおこっていた。
あー。俺、今、生きている。

貧弱な俺の足跡がまだ残る

生きている実感がはっきりと、はっきりと今感じている。
この感覚をこの気持ちをもう二度と離したくない。
ずっとずっと心の中にい続けてほしい。
そしてみんなにもうこんな自分を見せたくない。

手を握り締め固く固く空に決意する。

通り過ぎて行く人々。

愛のために、守りたいもののために、しっかりと目をはり、心に魂が宿り、仕事場へと
足を進めている。

俺もしっかりと地面を踏んで職案にむかった。

職案につき、順番を待ちながら周囲の人々を見た。
みんな愛のために、守りたいもののために、労働を求めてここにきている。
俺もその一人。

昨日ここに座って感じた素朴な疑問が、何かの呪いをかけられていたようで
そしてその呪いがとけたように、しっかりと答えが見えた。
みんな、みんな、街並み歩く人々、職案に来ている人々
死んでなんかなかった。しっかりと生きていた。
あの時みんな死んだような目をしていると感じたのは昨日の俺だけだった。

そんなことを考えていると順番がきた。

俺はフォークリフトの資格を少年院で取得していたのでフォークリフトで作業する仕事を選び面接日を決めた。
要資格の募集だったから給料も以前の清掃業よりも高かった。

しっかりと資料を片手に握りしめて新たなる人生を期待し家路をたどる。

「仕事決めてきた。早速明日、面接にいってくる。」
「よかった。受かればいいね。大丈夫だよ。きっと」

そして次の日スーツをはおって、電車にのり、予定より30分も前に面接場所のビルに着いた。缶コーヒーを買ってビルの裏にある低いブロック壁に腰をかけて煙草に火をつけた。

「うまい。」

吐いた煙が空にあがっていく。
やりなおしたい。もう一度人生を。
缶コーヒーを飲み終わり、煙草を消し、心を落ち着かせて気を引き締めて面会会場に向かった。ビルのドアに映る自分。

生きている。

目が生きていた。

ネクタイを確認し、ドアをあげて会場にむかった。
面接が終わり、今日中に連絡をいただけるということで面接を終える。

家にかえって、携帯を机におき、ずっと待った。
「ぷるるーぷるるー」
結果は合格だった。出勤は早速2日後からだった。
ほっとした。そして新たな人生を心から期待した。
すると、虹美が帰ってきた。
「虹美。受かったよ。あさってから早速働くよ。今まで苦労かけたな。こんな俺を待ってくれて本当にありがとう。」
「ううん」
にっこりと笑いながら首を振る。
「これからだよ。二人で一緒に頑張っていこうね。」
「あっ!そうだ。就職祝いに明日丁度休みだからデートしない?」
美しい笑顔で弾んだ声で投げかけてくる。
「そうだな。しばらくデートっていうデート。してないな。行こう!」
嬉しそうに嬉しそうに虹美は
「どこ行く?何着ていこうかな。そうだ。水族館行きたい!映画もみたい!ショッピングもしたい!」
「全部行こう!」
「うん。楽しみ!今日はとびっきり美味しいご飯作るね。」
そう言ってなれた手つきで夕飯の準備をした。

うまい。うまい。うまい。
生きている。生きている。生きている。
笑顔を絶やさない虹美の顔を見て深い深い愛情が心の底から滲み出てくる。
これから何があっても、こいつの笑顔をもう奪いたくない。

そして明日を心待ちにする心を静かに落ち着かせて二人で深い深い眠りに着く。
何を心配することなく、体の力を思うがままにぬき、ぐっすりとぐっすりと
二人幸せ、安心、充実。温かいものをわけあい、眠りに着いた。
気がついたら朝。
うなされることなく、ぐっすりと眠れた。
悪夢も見ずに目が覚めて、絶望を感じない、喜びと安心感。
こんな目覚めは久しぶりだった。
さらに嬉しそうにしたくする虹美を見て幸せを感じる。
こんな朝を迎えた日がいつからなかったのか覚えてないくらいに昔のこと。

よそいきに着替えた虹美は美しかった。
笑顔もさらに磨きがかかり、輝いていた。
俺は寝起きに見とれている。

朝ごはんを食べて早速二人はデートにでかけた。
水族館、映画館、ショッピング、レストランで食事。
手をつないで、今をこの瞬間を二人だけで大切に大切に感じながら時を過ごす。
ずっとずっと虹美は美しく華やかに笑顔がさく。
どんなに人がいようとも、どんなに人ごみに紛れようとも、どんなに人とすれ違おうとも
二人だけの時間が続く。
こんな時間、長い間作ってやれなかったな。
幸福のはざまに悔いがささる。

そして最後にお台場にいき、二人は海に向かって夕陽を眺めていた。
「虹美。」
「どうしたの?」
「俺、正直まだ不安なんだ。」
「うん。」
「悪にそまっていた自分。ふぬけになった自分。今は幻のように思える。
でも確かにどちらも今ここにいる自分。それは変えられない事実。
また、そんな自分がでてこないかと不安なんだ。
悪に育ち、復讐心におぼれて、悪におぼれて、断ち切ったと思えば深い深い否定感
に負けた。
お前は強いよな。お前も決して恵まれた環境で育ってない。
でもいつも強く笑顔で変わらず変わらずいてくれている。」
「違うわ。私、ずっと死にたいって思ってた。ずっとずっと。
親を恨んで恨んで。悪とともにずっと生きてきた。
直樹さんから聞いたの。少年院に入る前までのこと、そして少年院でのこと、そしてあなたがずっと大切にしてきた言葉(悪を断ち切って愛をつなぐ)
それを聞いて私は心を打たれたの。そして強く強くあなたに興味を持ったわ。
憎しみや恨みを忘れて、あなたに愛をそそぎたい。
あなたが東京に来て何度も何度も悪に出くわし、苦しい思いをして、本当に見ていられなかった。でもその言葉を信じて私はずっとずっと笑顔を失わないように愛をそそぎ続けていきたかったの。」

返す言葉がない、、、

「幸一。ありがとう。あなたと出会って私は変われたの。」
「でも結局口ばかりで何もできていない。
むしろ、心配ばかりかけてしまった。俺は怖いんだ。お前が消えてしまわないかと。
まだまだ自分が信じられない。でももう弱音を吐いている場合じゃないな。」

遠くを見るとうっすらと薄く海と空の間に虹が浮かびあがっていた。
二人は何も言わず目線をあげて眺めている。
知らないうちに自然とあとかたりもなく静かに消えていった。
「私はなくならない。ずっとさっきまであった虹のようにあなたのそばにいて
あなたに見ていてほしい。ずっとずっと変わらずに。」

虹美が力強く言った。

夕陽が少しずつ少しずつ海に消えていく。
二人は手をつなぎ、家に向かって二人だけの世界のまま人ごみをかき分け電車を乗り、家にむかった。

「楽しかったね」
「うん。俺明日からがんばるよ!」
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