砂糖漬け紳士の食べ方


翌日午前9時。
出勤途中のアキは、寄り道したカフェの中で宅配業者から電話を受けた。


依頼通りの時間に伊達のマンションに到着し、これから作品の梱包に移るという。



「ええ…はい、よろしくお願い致します」


ようやく胸を撫で下ろし、通話を終える。予定どおりだ。



「こちら、お持ち帰りのスパイスロイヤルミルクティーになります」


店員から熱いカップを受け取り、編集部への道を急いだ。





休日の編集部は、やはり人がまばらだった。

今月号がようやく入稿を終えたばかりだ。皆疲れ果てて帰宅したから、今日くらいは休む人が大多数だろう。


近日発売になるキャンバニストに、いよいよ『伊達圭介、独占取材!』の予告が載る。

アキはそれを思い返すだけで高揚感に顔をにやつかせた。



「おう桜井、早いな」


既に出社していたらしい中野が、熱いコーヒーを手に持っていた。

振り返り、アキは同期に薄く笑って返した。どうも彼とは残業の縁があるらしい。



「おはよう。なに、仕事残ってるの?」

「今日の午後に取材入れてんだ」


来る道すがらカフェで買ってきた熱いミルクティーを机に置くと、乾いた空気に湯気がほっこりと染まった。



「お前こそ今日はどうしたんだよ、まだ追い込みの時期じゃねえだろ」


「ああ…私は無事搬入されるか、確認でね。今日が公募作品の提出期限だから」



伊達さんの、と付け加えると、中野は面白いほど分かりやすく眉をしかめた。




「それがね中野くん。伊達さん、なんだかんだ言いながら、すごく良い絵を描いてくれたんだよ」

「…ふうん」


中野はこれ見よがしに肩をすくめた。どうやら以前の彼の忠告は、まだ時効を迎えていないらしい。

その子供っぽい感情の剥き出しに、アキも同様に不機嫌を表した。


「まだこの前のこと言いたいの?」


感情の乱れを表すように、アキは汚い音をわざと立ててミルクティーを啜る。



「…どうせ展覧会までなんだからさ、私の取材」

「まあ、そうだけど」



妙な沈黙が流れた。

ミルクティーの甘さがやたら舌の上に残るのは、気のせいだろうか。



その空気を打ち消すのを待っていたように、再びアキのスマートフォンが鳴り響いた。

先ほどの宅配業者だった。



「はい、桜井です。…あ、そうですか。はい、ええ、お世話になります…」


中野はカップの縁を噛みながら、アキの会話を見守る。

通話は端的に30秒ほどで終わった。順調だ。



「これから作品を搬入に向かうってさ」

「ふうん、とりあえず安心だな」


「おはよう、皆の衆!」


二人の会話に乗っかるように、快活な声が編集部全体に響いた。編集長だ。



「おはようございます」

「おはようございます、編集長」

「おーう、おはよう。何だ、土曜日くらい休めよお前らー」


自分のことはすっかり棚に上げた発言だが、少しもイヤミを感じないのはこの人柄のおかげだろう。

編集長はマフラーを外し、豪快に笑って中野の肩を叩いた。



「編集長、伊達さんの作品についてですが」


コーヒーを淹れたマグを編集長の机へ置きながら、アキは早々に言った。


「おう、どうした」

「今宅配業者から電話がありまして、これから会場へ搬入に向かうとのことでした」

「そうか。ごくろーさん。とりあえずお前も肩の荷が下りたな」

「はい!」


編集長から見ても、彼女の心からの笑顔は緊張がようやく緩んだ証だと分かった。


アキへ仕事のプレッシャーを与えすぎたのではないかと、一時期編集長は気にとめていたのだが

彼女は彼が思う以上に乗り越えてくれた。

きっとこれからは自信を持って更に良い仕事に取り組んでくれるだろう。



部下の成長をしみじみ感じ、彼はコーヒーを啜った。朝一のブラックコーヒーは、うまい。





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