砂糖漬け紳士の食べ方

どんな高額が提示されるか、無意識に身を縮こませていたアキは、彼からの端的な言葉に目を見開いた。



「え…いらないって、あの絵の代金…ですか?」



対する伊達は、何の表情もないままで、ゆっくりと同じ言葉を繰り返す。

「いらない」と。



冗談だとばかりに嘲笑ったのは、もちろんアキの方だった。



だってこっちは、あの絵の制作現場をこの目で見ているのだ。

あんなに時間を費やして、体もボロボロにして、文字通り自分の身を削るように筆を走らせていたのを知っているのに。



今更になって、代金はいらない、なんて。

確かに多額の現金を即座に払えるほど高給ではないが、タダなんて話、おかしいじゃないか。


反論は次から次へとアキの頭を埋めた。

しかし実際にきちんと言葉として形を成したものはほとんどなかった。



「いえ、…伊達さん、あんなすばらしい絵が、…タダって、そんなの」

「絵の値段は私が決める。そう言わなかったかい?」


妙な早口が、彼女の反論へ被さる。




「言いました!言いましたけど、それじゃあまりにも」


次第に声量が増す反論に、受付嬢の好奇な視線がアキ達へ向けられる。

しかし対する伊達は、どこか気怠そうに視線を彼女へ絡め、ぽつりと言った。

「…若い君に意地悪しただけだよ」と。




「考えてみれば君は私より大分若いのに、君から絵の代金をせしめるのも酷だろう」



とらえようによっては、この話はアキへの緩やかな愛情を含んでいるかもしれない。

彼の言うように、アキの年齢で大層な額を払うことは確かに重荷であるし
実際今だって「あの絵がタダなのはおかしい」と思っていても、それを口に出せないでいるのだ。


しかし「懐具合を心配して」と言う割に、声色に思いやりの色は全く感じられなかった。



だって
目の前の彼は
…ほんのわずかに眉をしかめていて

とても、「意地悪しただけ」と甘い冗談を言っている風には見えなかったのだ。



アキが適切な反論を何も返せないうちに、彼は更に言葉を重ねた。


「絵は、近いうちに会社宛で送るよ」



その凛とした声色に、もう反論は受け付けない、という妙な切っ先を感じる。



「だからもう、…無理してマンションへ来ることはないから」


話はそれだけ、と彼は無理に会話の切れ端を千切り捨てた。

ソファから立ち上がる画家を引き止めようと、アキが口を開く。


けれど、それは出来なかった。



絵の代金はいらない。
無理してマンションに来なくていい。



この二つを組み合わせれば、この前の意味深な言葉の真意に変わる。



彼が言った『好き』は、『LOVE』ではなく『LIKE』だったということ。



あの時の答えを、こうして丁寧に突きつけられているだけなのだ。

それ以上も以下もない。




この前とは打って変わって冷静な彼の反応に、アキは静かに確信した。




ああ。きっとこの前は、優しくしてくれただけなんだ。

仕事に失敗して、不甲斐なく涙をこぼす年下の子が可哀想で…

ただ、それだけだったんだ。




アキは自分で思う以上に、自分自身の心の動きをとても冷静に見れたし、実際心乱すことは無いだろうとぼんやりと知った。

それは皮肉にも、「伊達さんが言ったのは、女性としての好きという意味ではない」と無理やり作っていた予防線のお陰だった。




「それじゃあ」と彼は席を立った。


同じく立ち上がりかけたアキを一瞥し、彼が言葉を落とす。



「……また顔色が悪い。体は大事にしなさい。でないと、前のように倒れるよ」



伊達の最後の言葉は

「さよなら」でも
「また会おうね」でもない、中途半端に優しい灰色の社交辞令だった。


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