in theクローゼット
 家を出て、自転車に乗る。

 一駅向こうにある街まで漕ぐ。

 本屋に服屋にCDショップ。

 いろんなお店が密集したその場所を、自転車とサイフ一つでうろつく。

 弟たちのおかげで少し浮上したものの、終業式の出来事と母の言葉が蛇のようにとぐろを巻いて胸の底に居座る。

 黒いもやもやはなかなか晴れない。

 買った漫画雑誌とCDの入った袋を自転車のカゴに入れて、人に気を使いながらゆっくりと漕ぐ。

 すると不意に、甘い香りを通り過ぎた。

 自転車のペダルから足を下ろし、少し戻る。

 甘い甘い焼き菓子の匂い。

 甘い甘いクリームの香り。

 口の中に唾液が広がり、それを喉を鳴らして飲み込んだ。

 食べたい。

 男が甘いものなんて。

 という奴もいるけど、例え義理でもバレンタインにチョコレートを貰って喜ぶような奴ばかりだ。

 俺もその例にもれず、甘いものは好きだった。

 まあ、もっともバレンタインデーのチョコレートに喜ぶのは、わずかな期待が含まれているからなのかもしれないが。

 俺には関係ない。

 とはいえ、男一人でケーキ屋というのには少し抵抗はあった。

 やっぱり、変な目で見られるだろうか。

 そう思うも甘い香りの誘惑に敵うはずがなく、俺は店の前にあるわずかな駐輪スペースに自転車を止めた。

 少ない荷物を持って店の扉をくぐると、カウベルの音に店員が「いらっしゃいませー」と笑顔を向けてくる。

 俺は空席を探して店内を見渡し、見知った顔を見つけた。


「あれ、篠塚じゃん!」

「い、稲葉!」


 壁際の席でパフェをつついている篠塚を見つけ、思わず声を掛けてしまう。

 俺に声をかけられた篠塚は、何故か頭を抱える。


「あ、稲葉くんだ~」


 篠塚の向かいの席に座り、俺に背を向けていた人物が振り返った。


「稲葉くんも買い物?」


 にっこりと俺に笑顔を向けてきたその人物は、三笠舞。


「あれ? でも、愛ちゃんと稲葉くんってそんな仲良かったっけ?」


 気さくに篠塚に声を掛ける俺を見て、三笠は首を傾げる。

 よりにもよって三笠の前でしてしまった失態に、俺も頭を頭を抱えたくなってしまった。

 学校じゃ、あんなに気をつけていたのに……
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