睡恋─彩國演武─
光も射し込まない、深い緑の木々の中、辺りを警戒しながら千霧は歩いた。
この暗く深い森は、陽と陰の境を覆うようにあり、陰から迷い込んだ狂暴な異形が多く生息している。
異形と馴れ親しむ陰の人間でも、滅多に近寄らない禁忌の森。
辺りは異様なほど静かだった。
虫の声さえ聞こえず、ただただ自分の足音だけが木霊している。
「……異常は無いな」
少し安堵していた。
異形と出くわせば、命の安全など保証されない。
命をとりとめても、それに支払う代償は大きすぎる。
森を後にしようとすると、背後にわずかな気配を感じた。
とっさに振り返れば、一匹の大きな白い虎が、澄んだ碧い瞳で静かに千霧を見つめていた。
直感で異形ではないとわかった。
それはむしろ、神獣という表現が相応しいと思わせるほどに、神々しい光を纏っている。
千霧は安全を確認すると、虎に視線を合わせた。
「おいで」
虎は素直に寄ってきて、頭を撫でてやると気持ち良さそうに喉を鳴らした。
常人ならば、虎のような獣には脅えて近づくことも儘ならないだろう。
「お前……どうしたの?人里に下りては危ないよ」
虎はただ、じっと千霧を見つめていたが、人の言葉を理解したように、やがてきびすを返すと森の奥へと消えていった。
「不思議な虎……」
千霧の声は、森の静寂に呑まれていった。