ハロー、マイファーストレディ!
カードキーを差し入れて部屋の中に入る。透の指示か、チェーンは掛けられて居なかった。
部屋が見渡せる場所まで足を進めても、真依子の姿が見あたらなかった。
少し慌てたが、耳を澄ませばバスルームからドライヤーの音がした。
どうやら、風呂に入ったらしい。
髪を乾かしているのなら、じきに出てくるだろうとソファへ腰掛ける。
テーブルの上には冷えたワインが用意されていたので、コルクを抜いて、グラスに注いだ。
一気にグラスを傾けてワインを体内に流し込めば、気分が高揚するのが分かった。
それが、アルコールのせいなのか、それとも、これから俺が成し遂げようとしていることのせいなのか、はっきりとはしなかった。
そもそも俺は、仮面を着けずに、人と話をすることがほとんどない。
いつもなら相手を翻弄することのできる微笑みや話術も、彼女には通用しない。
完全に素顔の自分で、彼女を説得しなくてはならないのだ。
出来るだろうか。
柄にもなく、不安が押し寄せてきて、それを隠すように、もう一度ワイングラスを勢いよく傾けた。
それを二、三度繰り返したところで、背後でガチャリと音がしてバスルームの扉が開く。
「わぁっ!」
俺がソファに居たのが予想外だったのか、真依子が思わず声を上げる。
一人だからと、裸やそれ同然の姿で出てこられたらどうしようかと思っていたが、彼女は部屋着らしいワンピースを着て、扉の前に立ち尽くしていた。
風呂上がりの、おそらくノーメイクの顔は、いつもよりやや幼く見えるが、それでも美しく整っていることに変わりない。
「何か飲むか?」
自分もワインボトルを手にしていたためか、真っ先に彼女に掛けた言葉がそれだった。
「ちょっ…、何でいきなりあなたが部屋に居るのよ。」
しかし、彼女からしたら、飲み物なんてどうでも良かったらしい。
美しい顔を思い切り歪めて、ずかずかとこちらに歩いてくると、俺に掴み掛からんばかりの剣幕で詰め寄ってくる。
「どうして、あんなこと言ったのよ!お陰で、こっちは言い迷惑よ。いい?明日、すぐに撤回しなさいよ。」
「あんなこと?」
わざととぼけてみれば、彼女は顔を真っ赤にして反論してきた。
「私と付き合ってるとか、私のことを、その…た、大切な人だとか、とにかくあなたの根も葉もない発言についてよ!」
途中で、俺の発言を思い出したのか、少し照れたような表情を見せる。
さすがに、自分の口でリピートするのは、恥ずかしいらしい。
俺はその表情に少しだけ満足感を覚えながら、悠然と口を開いた。
「ああ、それは撤回できないな。」
「どうしてよ!」
緊張で言葉が出てこないかもしれない、などという心配は杞憂に終わった。
「どうしてって、俺にとって君が大切なのは、本当だから。」
言葉はいとも簡単にするりと口から出て行った。