残業しないで帰りなさい!
久保田係長はガツガツと不機嫌にヒールの音を立てて出て行った。
はあー……。
ほっとして力が抜ける。
さっさと片付けてみんなのところに戻ろう。
息を整えてトイレから出ると、給湯室で小さなお盆と台布巾を取って応接室に向かった。
応接室に向かう途中、エレベーターホールに商談相手の三人と久保田係長の姿が見えたから、足音を立てないように小走りで通り過ぎて、急いで応接室に逃げ込んだ。
見つからなかったかな?
フーッ!
よしっ!片付けよう!
出したお茶を片付けるなんて、たいしたことじゃない。あっという間に終わる。
机を拭いてお盆を持って立ち上がったら、背後でガチャッと扉が開く音がした。
驚いてビクッと振り向く。
扉を開けて入って来たのは、商談相手の若い二人のうちの一人だった。
細身でちょっと茶色いくせ毛の人。さっき見た時は、チェックっぽい柄のスーツなんて珍しいなあと思っていた。
何の用だろう?
「お忘れ物ですか?」
声をかけると、その人はまっすぐズンズンと歩み寄ってきて私の目の前まで来た。
あんまりあっという間に近付いてきたから、私は茶碗を乗せたお盆を胸に抱えたまま固まって一歩も動けなかった。
漂うシトラス系のコロンの匂い。
……あ、この匂い、イヤだな。
「俺はフラれちゃったらしいね」
「?」
言葉の意味がわからず、首を傾げた。