残業しないで帰りなさい!

私を掴んでいた手が離れて課長の体が遠退いたら、私を包んでいた課長の熱はあっという間に蒸発して、寒さを感じて寂しくなった。
ついさっきまでおろおろしていたくせに、早く戻ってきてほしい、などと思う自分に驚く。

課長は手すりから身を乗り出して大きな声を出した。

「そこから上に来たヤツ、早期退職勧告リストに載せるよ!これ、ホントだよ!」

課長の声が非常階段に響き渡る。
一瞬の静寂の後、一気にどよめきが起こった。

「えーっ?」
「権力振りかざした!」
「ふざけんなー」
「つまんなーい」
「帰ろ帰ろっ」
「フラれちまえ!」
「せいぜいガンバレー」

みんな口々に好き勝手なことを言っている。
いったい何人来てるんだろう。まさか、人事課全員……?

ガヤガヤとした大勢の人の気配は、下の階の扉から次々と消えていき、あっという間に静かになった。

聞こえてくるのは風の音と、時々遠くで鳴くかん高い鳥の声だけ。

青い空を見て、それからスーツが風にはためく課長の後ろ姿をじっと見つめた。

みんながいなくなったら、課長は私のところに戻ってきて、さっきの続きをするだろう。私はそれをじっと立って待ってる。期待する心を隠して、じっと待ってる。
そんな自分にドキドキした。
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