残業しないで帰りなさい!

課長はもちろん本心を話してくれていると思うけど、でもやっぱり大人で、本心とその奥にあるものの間でバランスを取りながら話しているようにも思えるのです。

そんな大人のあなたに手が届かなくて、時々私はもどかしさを感じてしまうのです。

「じゃあ、連絡するね」

優しい瞳でそう言うと、課長は腰に添えていた手をそっと離した。

あっ、また……。
離れた途端、課長の感触が蒸発していく。

毎回、課長が触れていた感触が蒸発する感じが寂しくてたまらない。その瞳が甘すぎるから寂しさが加速するのです。
どうしてそんなに甘い瞳をするのでしょうか?

胸ポケットからスマホを取り出すと課長が微笑んだ。

「連絡先、教えて?」

「はい」

 そう言って見上げた時。

「あっ!」

「?」

「あの、ごめんなさいっ、ワイシャツに……」

リップの色を、付けてしまいました……。きっとさっき、頭を抱き寄せられた時です。

そんなのって、なんか、なんか。
ものすごく赤面してしまいます……。

私は口紅はつけないけど、最近ほんのり色が付くリップクリームを使っていた。

だから、課長のワイシャツに付いた色もほんのわずかだけど。でも、じっと見たらきっとわかる。

スカートのポケットからハンカチを出した。

「あ、あの、拭きますね」

「いいよ、平気」

課長はニヤッと笑った。
なんですか?そのニヤッて。

「でも、よく見たらわかりますから」

「ダメ!拭いたらもっと目立つところに付けてもらうよ」

「エエッ!」

あなたはいったい何を言ってるんですか?また記念にとっておこうなんて、言いませんよね?子どもですか?わがままですか?

「あ……怒ってる?」

「変なわがまま言うからです」

「だってさ、好きな女の子のキスマークだよ?君のキスマークだよ?消すなんてありえない。絶対ダメ!」

「……」

キスマーク……ですか?そんなたいそうなものではありません。
それに好きな女の子、なんて言われると赤くなって黙ってしまう。あなたはそれをわかって言っていますね?
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