さちこのどんぐり
母親からの電話を切った坂崎は、そのまま電話帳で大森の電話番号を探した。今年の春に、転勤で久しぶりに東京に戻れることになったから
「仕事が落ち着いたら久しぶりに二人でゆっくり飲もう」なんて大森から誘われていたが、結局、そのまま「たったふたりの同窓会」は実現されていない。
それは決して珍しいことではなかった。
お互い学生だった頃はほとんど一緒につるんでいた二人だったし、社会人になってからもお互い東京にいるうちは月に数回は会っていたのだが、やがて二人とも会社での立場が忙しくなり、坂崎は家庭を持ち、「今度、ゆっくり飲みに行こう」なんて約束しながら、それっきりになっていることが多かった。

一方、大森和也はその日も遅くまで会社にいた。相変わらず、彼は疲れていた。
ただ、自宅と会社の往復だけで日々が終わり、休日に休んでも、疲れが取れないような気がする。大森は「もう…若くないなぁ」と感じていた。

大学を卒業し、会社に入った頃は…。あの頃も忙しかったが、いまのような疲れとは何かが違う。体が疲れていても、今のような「心が疲れた」という感覚はなかった。結局、その日も二十二時過ぎに大森は会社を出た。電車で自宅の最寄駅に着き、そこから彼の部屋までは駅前の通りを、あと十五分くらい歩く。
すっかり人通りも途絶え始めている駅からの道を歩きながら、彼はふと夜空を仰いだ。
雲ひとつない空には、たくさんの星が瞬いていて、半分の月が昇っていた。
「寒いわけだ…」大森は自分の吐く息の白さと、手の冷たさをかみしめながら、コートの襟を少し閉めた。

そんな大森の前に、突然、白いノラネコが現れた。
大森の住むマンションの少し手前にある自動販売機のかげ。そこから大森を見ている。
彼が近づくと、少し警戒する素振りを見せながらも、もとは人に飼われていたネコだったのか逃げようとはしない。

「よーし、おいで、おいで」

でも、大森がそう話しかけても警戒して近寄ってはこない。
大森は少し前にコンビニで買った「魚肉ソーセージ」を思い出して、そのネコのそばに置いてあげた。そして、その場から大森が離れると、ネコは自動販売機のかげから出てきて、ソーセージを食べていた。

それを見ていて大森は疲れ切っていた自分の心が少しだけ癒されていくのを感じていた。


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