強引社長の甘い罠
 突然振られた結婚を匂わせる話題に、私はまたしても慌てる。これまで聡との間にそんな話題が出たことはなかった。というより、考えないようにしていた、と言った方が正しいかもしれない。
 毎週末を聡のマンションで過ごすくせに、いざ結婚してこの先の人生を共にできるかと聞かれると、正直私は自信がなかった。

 聡は優しいし仕事もできる。ルックスだっていいし、私には申し分のない相手だとは思う。
 けれど、ドキドキするかと聞かれると答えることができない。一緒にいて、幸せかと聞かれると、悩んでしまう。

 私たちの付き合いは、聡からのアプローチで始まった。私は当時とても傷付いていて、付き合う気にはとてもなれないでいた。そんな私を彼は気長に待ってくれたのだ。急かすわけでもなく、曖昧な態度の私を責めるわけでもなく。付き合い始めてからも、彼は家事が苦手な私を深い懐で受け入れてくれている。

 ――結婚相手として、聡はぴったりなのかもしれない。

「……俺は、いつでも考えてますよ」

 聡の声が妙にフロアに響いた。
 私は驚いて聡を見上げる。え? 今、何て言ったの?
 彼の表情は真剣で、とても冗談で言っているようには見えなかった。及川さんも、キュッと口を引き結んだくらいだ。

「や、やだ、そうなんだ! もう、七海さんったら何も話してくれないんだから。そっかー、そうなんだー。そうよねー……もうそんな歳だもんねー……」

 及川さんが動揺を隠し切れない様子で早口でまくしたてる。
 考えている? 聡が? 何を? ……結婚を?

「ほんっと、こんな話をしても七海さんは相変わらずクールなんだから」

 及川さんが呆れたような顔をして私をからかったとき、私たちはちょうどフロアに入ってきた鈴木課長に注意をされた。
 「すみません」と謝って聡はフロア奥の自席へと戻っていく。私と及川さんもそれぞれの仕事を開始した。
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