強引社長の甘い罠
 突然、社長を出せとは、彼女は何を言い出すのだろう。そもそもこの人が私を指名したのではなかったのか。少なくとも秘書の杉浦さんは先ほどそう言っていた。

 それに、うちの会社はつい最近、社長が二人体制になったばかりだ。一体どちらの社長だろうか。私がこの会社に入社したときには既に社長職についていた後藤社長なのか、それともこの会社を買収した張本人である祥吾……桐原社長なのか。

「え……っと、申し訳ございません、弊社には社長が二人おりまして……後藤でしょうか? それとも……」

「そんなこと知っているわ。祥吾よ。桐原祥吾に決まってるじゃない。彼を呼んでちょうだい」

 私の事務的口調がじれったいとばかりに、私の言葉を遮って彼女が吐き捨てた。彼女の口から発せられた名前に私の全身が反応する。心の中にもやがかかったような、すっきりしない感情を覚えた。

 彼女は今、祥吾と言った? 親しげに、彼の名前を呼んだ?
 そうだ、そもそも彼女のところの仕事は祥吾が持ってきたものだと聞いている。彼女は祥吾と知り合いなのだ。それはどんな知り合い?

 彼女の口ぶりからはただの仕事関係じゃないことが窺える。仕事絡みの付き合いならば、相手のことを名前で親しげに呼んだりしないだろう。
 二人はどんな関係なの?まさか……恋人、とか? 祥吾とこの派手な女性が恋人?

 私の頭の中は、祥吾と、この佐伯幸子という女性の関係を推測することに必死になった。どうして私はこんなにもうろたえているというのだろう。私に恋人がいるように、祥吾に恋人がいても、それはおかしいことじゃない。むしろ、恋人がいないことの方が不自然だといえる。

「ちょっと、ねえ、聞いているの?」

 彼女の苛立った声がフロアに響いた。
 いけない、我を忘れて考え込んでしまっていた。今は仕事中だというのに。

「も、申し訳ありません。しかしながら社長の桐原はただ今こちらには………」

「あら、いるじゃない」

 私が祥吾の不在を告げようとしたとき、突如、彼女の顔が輝いた。真っ赤な唇が嬉しそうに持ち上がる。

「祥吾!」
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