強引社長の甘い罠
 彼の車は左ハンドルだ。走り寄った私は運転席側のドアに駆け寄る。
 走ってきた人影に気づいて、祥吾が緩めていたスピードをさらに緩めた。ほとんど停止しそうな速度になったとき、こちらを振り返る。そして目を見開いた。
 それはやっと会えた恋人に見せるような表情ではなかったけれど、このときの私は祥吾に無事会えたことに安堵していて気づかなかった。

「祥吾!」

 私はもう一度彼の名前を呼んだ。彼はきっとすぐに微笑んで私を助手席に乗せてくれるはず。そう思って、ちらりと助手席に視線を走らせた。

「え……?」

 私は立ち止まった。祥吾の車も完全に停止していた。地下駐車場の入り口のゲートが開いたままになった。

「どうして……?」

 車のウィンドウは閉じられたままだ。きっと私の呟きは祥吾には聞こえていない。けれど私の言いたいことはわかったはず。
 祥吾の車の助手席には、佐伯さんが乗っていた。勝ち誇ったような笑みを私に向けている。再び祥吾を見た。彼は、この状況をどう言い訳するのだろうか。

 運転席のウィンドウが下りるのを待った。彼の長い睫が数回、ゆっくりと瞬きを繰り返すのを、窓越しに祈る思いで見つめる。さあ、祥吾、どんな気の利いた言い訳を思いついたのか、私に教えて。

 だけど私の祈りは届かなかった。次の瞬間には車はゆっくりと発進し、開いたままだったゲートの中に吸い込まれていった。運転席のウィンドウは一度も開かれないまま。祥吾の車のテイルランプがカーブを曲がって見えなくなる前に、ゲートは再び閉じられる。
 祥吾は佐伯さんと一緒に帰宅し、私はマンションの外に一人、取り残された。
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