強引社長の甘い罠
「ありがとう、でも大丈夫。ちょっと噛んじゃっただけだから」

「……唯」

 私は聡に微笑むと、ペロリと唇を舐めた。先ほどよりも濃い鉄の味が口の中に広がる。
 心配そうに見つめる聡に、私はもう一度微笑んだ。

「ごめんね、心配させちゃって。本当に何でもないの。突然、社長に会っちゃって、少し仕事のことで不安になっただけ」

 私の苦しい言い訳に、聡は一瞬眉根を寄せたけど、それ以上追及しようとはしなかった。
 聡が空になったコーヒーカップを脇に押しやり、テーブルの上で両手を組み合わせた。やけに真剣な表情だ。

「唯」

「うん?」

 さっきまでの重苦しい空気に戻りたくなくて、私はわざと明るい声を出した。

「俺たち、もう付き合って三年だよな」

「え……? う、うん、そうだね。もうそんなになるのかな」

 唐突な話題に戸惑い、私は味わおうともせず、コーヒーをかぶりと飲み込む。少し冷めてしまっていたおかげで火傷をしなくて済んだ。
 そんな私の不自然な行動を、聡はからかうでもなくジッと見つめていた。聡こそ、いったいどうしてしまったの?

「俺、ずっと考えてたんだ」

「うん」

「俺たち、今までずっとうまくやってこれたし」

「そうね」

「お互いを理解してるし、尊重もできる」

「聡は優しいし仕事もできるもの。恋人として、私にはもったいないくらいだわ」

 私が微笑むと、それまで堅い表情だった聡の頬の筋肉が緩んだ。肩の力が抜けたのか、その顔に笑みが浮かぶ。彼が言った。

「そろそろ、次の段階に進んでもいいと思うんだ」

「次の段階?」

「そう」

「ええっと……」

 私が首を傾げると、彼はまた真剣な顔をして私に告げた。

「俺たち、結婚しないか?」
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