強引社長の甘い罠

初歩的なミス

 仕事が忙しくなったのは幸いだった。
 私は自分のワークスペースから出ることなく、朝から晩まで脇目も振らず、ひたすらパソコンに向かっている。

 忙しいのは聡も同様で、休憩もろくに取っていないのか、同じフロアにいるはずなのにあまり姿を見かけない。デスクパネルで仕切られたこの環境では、パソコンにかじりついてしまうと必然的にこうなるのだ。

 でも、今はそれにほっとしている自分がいる。

 先週末、私は聡にプロポーズされた。何も言葉を返せなかった私に、聡はよく考えてみて欲しいと言った。
 正直、どうしたらいいのか分からない。

 聡のことは好きだ。彼とは燃え上がるような恋ではないけれど、穏やかな日々を過ごすことができた。三年間付き合っていたのだから、それは間違いない。

 あのままいけば、いつか、聡と結婚したかもしれない。
 けれど、私は出会ってしまった。その昔、身も焦がれるような恋をしていた相手に、再び。

 私は出来上がった試験用ページをサーバーにアップロードすると椅子に背を深く預けた。背をそらして体も伸ばす。長時間同じ姿勢をしていたためか、体のあちこちが硬くなっていた。
 いくつか提出したデザイン案から、最終候補は三パターン。これを明日、組合の事務局へ出向いて確認してもらうのだ。

 プライベートな感情の乱れを仕事に持ち込むわけにはいかない。どんなに動揺する出来事が重なったとしても、仕事は仕事。きっちりこなして当然だ。

 だけど……。ふと気づくと考えてしまうのは祥吾のこと。そして次に思い出すのは聡からのプロポーズ。自分はいったいどうするべきか、どうしたいのかが分からない。

 こんな不安定な状態で、ちゃんと仕事に打ち込めるのだろうか。明日の打ち合わせが不安でならなかった。こんなこと、入社以来初めてかもしれない……。
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