強引社長の甘い罠
 部屋に案内された私たちは黒い革張りの大きなソファを勧められた。そこに祥吾と並んで二人、腰を下ろす。私は不自然にならない程度に、できる限り彼との距離を空けた。彼に近づきすぎると、きちんと仕事をこなせるか不安になってしまったから。

 そして間もなく、部屋に入ってきた人物を見たとき、私ははまたしても動揺してしまった。すぐに立ち上がるべきだというのに、なぜかそれができなかった。隣の祥吾が立ち上がる気配がし、小声で「七海さん」と呼ばれてから、やっと立ち上がることができた。

 部屋に入ってきたのは眼鏡をかけた中背のスマートな男性ともう一人。つい先日、映画館で祥吾と一緒にいた女性、佐伯さんだった。

 ああ、そうか。最初に、打ち合わせ場所が「佐伯不動産」だと聞いたとき、気づくべきだった。この仕事が祥吾によるものだということを踏まえ、勘を働かせるべきだったのだ。それができてさえいれば、私はもっと賢明な行動がとれた。

 遅れてソファから立ち上がった私は、挨拶と名刺交換を済ませた。とにかく、これ以上プライベートなことで心を乱されるわけにはいかない。これはビジネスで、祥吾は社長、佐伯さんは大事なクライアントなのだ。私は気づかれないよう、ゆっくり、そっと、深呼吸をして気持ちを落ち着けた。

 今日の佐伯さんは、先日会ったときよりも大人しい服装だ。グレーのスーツに黒のインナーを合わせている。長い髪はきちんと後ろで束ねているし、化粧も落ち着いていて派手さはない。彼女もきちんとした社会人なのだ。恋人である祥吾と一緒の仕事であろうと、浮かれたりなどしていない。元恋人である私は冷静さを保つのにこれほど必死になっているというのに。

 祥吾は美しい恋人を見ても全く表情を変えなかった。ここに来るとき同様、ビジネスモードだ。彼も彼女と同様、仕事とプライベートをきっちり分けることができるらしい。

「それじゃあ、早速見せてもらえますか?」

 もう一人の男性が祥吾と私を見て言った。先ほど交換した名刺によると、彼は藤本さんというらしい。
 私は資料を彼らに渡すと、準備しておいたパソコンを皆が見える位置に調整し、説明を始めた。
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