強引社長の甘い罠
「……や、めてっ!」

 突然私に拒絶された祥吾は、ほんの少し体制を崩して半歩後ろに下がったが、すぐに姿勢を正すと再び私を真っ直ぐ見下ろした。

 肩で荒い息を繰り返す私とは対照的に、祥吾はいつもと同じ冷静さを保ったままだ。つい先ほど、あんなに熱い声で私の名を呼んだ男とは思えない。

 けれど、彼の唇には、塗られたばかりの私のピンクの口紅がべったりとついていて、情熱的なキスの名残を見せていた。
 彼は右手の親指で唇をグイと拭うと嘲るように言った。

「君は誘われれば、誰にでもこんなに簡単に許してしまうんだな」

 私の頬がカッと熱くなる。怒りと後悔で体が震え、我を失いそうだ。

「違う。いい加減なこと言わないで」

 両手で自分を抱きしめるようにした私の視線は、向かいに立ちふさがる祥吾の斜め左下に向けることが精一杯だ。彼の瞳を真っ直ぐに見られない私の声は、自分でもそうと分かるくらい震えて動揺している。私は血が出そうなほど強く唇を噛み締めていた。

「本当のことを言われて動揺しているんだろう? 君にはプロポーズされた相手がいるというのに、今日は別の男と浮かれている。そして今、俺が誘えば君は俺にも簡単に唇を許してしまった」

 私の口の中にかすかに血の味が広がった。あまりに強く唇を噛みすぎていたらしい。

「そんなに強く噛むんじゃない」

 祥吾が再び私に手を伸ばそうとした。

「触らないでっ!」

 私は伸ばされたその手を強く振り払った。パシンと小気味いい音が響き、振り払われた手はそのままに、祥吾が目を僅かに見開いているのが見える。

「触らないで……」

 もう一度、言った。彼の手を振り払った自分の右手の甲がジンジンと熱を持っている。
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