強引社長の甘い罠
　私はありったけの精神力をふりしぼって、彼の腕を振り払った。最後の言葉が震えていなかったことは、自分を褒めてあげたい気分だ。彼に対する怒りが私の動揺を上回ったおかげだ。

　私はその怒りの感情だけで何とか歩き出し、ロビーで待っているはずの良平のもとへと向かった。
　背後から一度だけ、私の名を呼ぶ祥吾の声が聞こえたが、聞こえない振りをした。

　せっかく良平が気を利かせて化粧直しに行かせてくれたのに、きっと化粧を直す前よりひどい状態になっているに違いない。
　手の甲でグイと唇を拭った私は、血色の悪い唇と、対照的に赤くなってしまった目元を想像したけれどどうしようもない。

　良平に聞かれたら、どうやって誤魔化せばいいのか分からない。
　このたった数分の出来事で私はすっかり疲労困憊し、もう何もできそうになかった。良平のおかげで、久々に楽しい気分を味わえたのに、全てを台無しにされてしまったのだ。

　まだ口の中に僅かに血の味が残っているのを感じて、私はますます落ち込んだ。
　私はこの先、あと何回、こんな気持ちと向き合えばいいの？
　ロビーのソファに座っている良平を見つけた私は、何とか笑顔を作ると、逃げるように彼の元へと急いだ。
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