僕と、君と、鉄屑と。
 着替えようとしたけど、背中のファスナーが噛んでしまったらしく、どうしても下がらない。
「村井さん、ファスナーが下りないの」
村井さんは、失礼しますと言って、寝室へ入ってきた。彼は一生懸命ファスナーを直そうとしてくれたけど、どうやら、不器用らしく、なかなか直らない。
「難しい……ですね」
「不器用なんだ」
「慣れていないだけです」
「なんか、意外」
私はちょっと笑ってしまって、村井さんはむっとした様子で、深呼吸をして、もう一度ファスナーに挑み始めた。
「布地を外しながら、強めに下ろして」
「わかってますよ」
珍しく悪戦苦闘している村井さんが人間ぽくて、私は少し……。
「やっと外れた……」
私はそのまま、ドレスを床に落として、村井さんの胸にうずくまった。
「麗子さん?」
「寒い」
「そんな格好だからですよ。何か着ないと」
「あっためて」
村井さんは、やっと意味がわかったらしく、私の背中に、そっと腕を回した。エレベーターで冷たかった手は、すっかり熱くなっていて、素肌の背中には、スーツの袖のボタンが、少し冷たい。
「寂しい」
「そうですか」
「ずっと、一人でいるの」
「習い事でもしますか? 手配しますよ」
「一緒にいて……朝まで……」
 ほっぺたが、震えた。胸ポケットで、携帯が鳴っている。村井さんは、失礼、と言って、部屋を出て行った。ドアの向こうから、今、麗子さんの部屋です、と話す声が聞こえる。きっと、相手はあの人。この人の電話には、あの人から電話がかかってくる。当たり前よね。上司と部下なんだもん。
 パーティで飲んだお酒が今頃回ってきて、目眩がする。私は、朝脱いだパジャマを着て、そのままベッドへ入った。ベッドは冷たくて、私の体温を奪っていく。寒い。寒くて、眠れない。ねえ、あなたも、寒かったよね。あの夜はとても寒かった。あなたは、あの寒空の下、どうやって眠ったの? このまま眠ったら、あなたのところにいける? ねえ、教えて。いつになったら、私はあなたのところにいけるの?
「麗子さん」
ドアの外から、村井さんの声がした。
「もう、寝るから」
「そうですか。では、失礼します」
村井さんは、ドアを開けることなくそう言って、しばらくして、ドアのロックの音が聞こえた。
 私は、泣くでもなく、笑うでもなく、ただ、ベッドの中で、目を閉じた。きっと、また、朝が来る。また、一人の、朝が来て、何かを食べて、夜が来て、眠る。一人で、たった一人で。
 
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