僕と、君と、鉄屑と。
 麗子の話の相手をしていると、インターホンが鳴った。
「あれ? 直輝? どうしたのかしら」
直輝? この時間は会議のはずだけど……
「おかえりなさい。どうしたの? こんな時間に」
「予定の会議がなくなったんだ」
玄関で、二人は、ハグをしている。まるで本当の夫婦のように、笑いながら、ただいま、のハグをしている。
「村井が来てるのか?」
「うん。お買い物の帰りにね、上がってもらったの」
リビングに入ってきた直輝は、少し、気まずそうな顔をした。
「社長、お疲れさまです」
「あ、ああ、ご苦労だったな」
「会議がなくなったとは、聞いていませんでした」
「先方が、インフルエンザにかかったみたいで……」
「そうでしたか」
僕達はまるで、オフィスにいるように会話をする。
「もう、戻らなくていいの?」
「ああ。……村井、飯食って行けよ」
「いえ、まだ予定がありますので、私はこれで」
立ち上がる僕に、残念ね、と、全く残念でなさそうに、麗子が言った。
「では、社長、失礼いたします」
こんなことは、しょっちゅうある。僕達は、あくまで、社長と秘書であり、上司と部下。それ以外の関係は、ない。麗子が玄関で見送ってくれて、また、お買い物つきあってね、と言った。僕と買い物してもつまらないんじゃなかったのか? 本当に、女というものはよくわからない。

 エンジンをかけ、駐車場から出て、しばらく走っていると、急に、視界がぼやけた。
「おかしいな……」
ハンドルを握る手に、水滴が落ちてきた。それは紛れもなく、雨漏りでも、結露でもなく、僕の、涙だった。僕は、認めたくない現実に、打ちのめされていた。
 わかっている。それはもう、僕のシナリオでも、直輝の過剰なアドリブでも、ない。直輝は、愛している。僕ではなく、あの女を。あの女の胎内の生命を。こんなこと、容易に予想できたはずなのに。僕としたことが……

 何を、間違えたんだろう。どこが、良くなかったんだろう。僕は、何を、見逃したんだろう。
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