僕と、君と、鉄屑と。
 俺は手を洗って、麗子の髪に軽くキスをして、その場から逃げ出した。俺は、逃げている。麗子からも、祐輔からも……俺は、どうしたらいいんだろう。どうすれば、誰も傷つかないんだろう。ポケットの中の十字架は、少し冷たくて、俺はただ、それを握りしめて、祈ることしかできない。
「何を、祈ってるの?」
気がつくと、寝室のドアが開いていて、麗子が立っていた。
「俺達の、幸せを」
「どこにも、行かないよね?」
麗子……お前は、わかっているのか? 俺が何を考えているのか、俺が何を隠しているのか……何を祈っているのか。
「私も、お祈りしていい?」
「一緒に、祈ろう」
俺達は一つの十字架を、二人で握りしめて、目を閉じて、祈りを捧げた。俺はもう、麗子を愛していた。偽りでも、芝居でも、祐輔のシナリオでもなく、本当に、麗子という妻を、愛している。
「あ……」
「どうした?」
「今、なんか……動いたかも」
俺は慌てて、麗子の腹に手を当てた。
「ほんとに?」
「あっ、ほら、また」
微かに、俺の手に、何かが動く感触があった。
「わかった?」
「うん……動いたな」
俺は麗子の手を取って、十字架と、その母親になる妻の手と、父親になる自分の手を、まだ見えないけれど、確かに生きているその子に、重ねた。
 俺は、罪人。嘘に塗れた、罪人。こんな罪人に、親になる資格など、あるのだろうか。
「ねえ、私ね、女の子のような気がするの」
こんな罪人に、こんなに純粋で、こんなに素直で、やっと悲しみから逃れることを許された女を、愛する、いや、愛される資格が、あるのだろうか。
「女の子は、パパに似るんだって。なら、絶対美人よね」
麗子は、痛々しいほど、無理に笑っている。俺に、悲しい顔を見せまいと、必死で、笑っている。
「麗子……」
「家族に、なるんだよね……」
俺は、どこまでも、罪を重ねる。
「家族に、なるんだよ」
「……大切な人が、いるんだよね……」
神よ、私に、全ての悲しみを私に背負わせてください。
「お前だけだよ」
罰を受けるべきは、私です。
「愛してる?」
「愛してるよ。麗子、お前だけを、愛してる」
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