僕と、君と、鉄屑と。
 私達は、ずっと一緒に、空を飛べると、思ってた。ずっと、愛し合えるって、思ってた。
「もう、飛べない」
右目の光を失った彼は、そう言って、部屋に閉じこもった。私には、どうすることもできなかった。ただ、私は、飛べなくなった彼を、見守るしか、できなかった。
 でも、常識的で、理知的な彼は、与えられた仕事を、正しく全うし、自分の代わりに空に飛びたつ若者を育てていた。私には、彼がすっかり立ち直ったように見えていた。だって、変わらず彼は、髪を整え、髭を剃り、きちんとしたスーツを着て、毎朝同じ時間に家を出て、毎晩同じ時間に帰ってくる。そして優しい笑顔で、私のフライトの土産話を聞き、私とベッドで愛し合う。何も変わらない。ただ、飛行機に乗れなくなっただけで、彼は何も変わらない。私も変わらない。それで良かった。私は彼がパイロットでなくても、良かったのに。

「あ、すみません。会社からです」
紗織ちゃんはテーブルの上で震えたスマホを持って、店の外に出て行った。

 その夜のフライトは、久しぶりのパリ行きで、私はちょっと、浮かれていた。朝のテレビで、偶然にもパリ特集が流れていて、私は、すっかり見入っていた。
「そろそろ、出ないとな」
彼はいつもの時間に、いつものように、家を出ようとしていた。
「ねえ、お土産、何がいい?」
「そうだなぁ。まあ、なんでもいいよ。麗子が、無事、帰ってきたら」
「そう、最近はヘマもしてないの。あんまり叱られてないのよ」
「そうか、すっかり、一人前になったんだな」
私は、テレビを見ながら彼と話していた。彼の顔は見ずに。だって、いつもと同じだと、思っていたから。
「麗子」
「うん?」
「何便だ?」
「最終便」
「そうか、最終便か」
「いってらっしゃい」
「いってきます」
 私は彼の顔を見ることなく、背中で彼を見送った。彼が開けたリビングのドアから少し冷たい空気が入って、そして、玄関のドアの閉まる音がした。

 別に、冷めていたわけじゃない。彼に飽きていたわけじゃない。ただ、ただ、いつもと同じだと、この生活がずっと続くって、信じていた。ただ、それだけ。

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