僕と、君と、鉄屑と。

(1)

 麗子が、目を覚ましたのは、もう、明け方近くだった。俺は十字架を離し、祈りから、麗子に戻った。

「気が、ついたか?」
「……直輝……」
麗子は無意識に、腹に手をやった。膨らんだままの腹に、麗子はほっとしたように、目を閉じた。
「無事、だったのね……」
「ああ、無事だった。お前も、赤ちゃんも」
「よかった……」
 俺はナースコールを押して、医師を呼んだ。当直医は、大丈夫でしょう、と言って、また明日、精密検査します、と部屋を出て行った。
「神様が、守ってくださったのね」
麗子は俺の手にあった十字架を握り、ありがとうございました、と呟いた。
 何を言えばいいのか、まだ、整理ができていない。麗子は、知ってしまった。何もかも。俺と祐輔のことも、本当の俺も、俺の罪も、全て。
 黙ることしかできない俺の手を、麗子がそっと、握った。
「すまなかった」
「そんな顔、しないで」
「麗子……俺は……」
「もう、いいの」
そう言って、麗子は微笑み、膨らんだ腹を、愛おしく撫でた。
「私には、この子がいるから」
カーテンの隙間から漏れる街灯に、麗子の涙が光る。
「ごめんなさい」
「なぜ、謝るんだ」
「私があなたを好きにならなければ、あなたも、村井さんも、苦しまなかった。契約で、良かったのよ。私が、あなたを……愛してしまったから……」
 麗子は、泣いている。そして、俺の全てを、許している。俺を本当に……本当の俺を、愛してくれている。もう、戻れない。俺は、戻ることができない。
「麗子、愛してる」
「無理、しないで。いいのよ、元々、一人だったんだから……この命に、もう、未練なんてなかったんだから……」
そう言って、麗子は背中を向けた。
「一人で、大丈夫だから。きっと、村井さん、傷ついてるわ。彼の所へ、行ってあげて」
こんな愚かな罪人を……麗子……お前という女は、どこまで、慈悲深く、清廉なんだ……
「お前の所に、いさせてくれ」
麗子は、何も言わなかった。
「ゲイの夫は、嫌か……気持ち、悪いか……」
麗子の肩が、震えている。麗子、やっぱり、俺は、お前を……離せないんだ。
「許せないよな……」
麗子は背中のまま、首を、横に振った。
「嫌なわけないでしょう! 気持ち悪いなんて、思うわけないじゃん!」
「麗子……」
「そばにいて欲しいに決まってるじゃん……どこにも行かないって、家族になるって、約束したじゃん……」
「どこにも、行かない。家族になるんだ。俺達は、家族に……」
「でも、でも……村井さんが……村井さん、優しいの……いつも、いつも私のそばにいてくれたの。いつも、いつもね……絶対、つらかったのに……私と直輝を見て、絶対つらかったはずなのに……」
そうなんだ……きっと、祐輔は、俺なんかより、ずっとつらかったはずだ。俺の心が離れていくのを、祐輔は、わかっていたはずだ。それなのに俺は……建前の優しさで、あいつを離すことができなかった。いや、甘えていた。俺は『別離』という選択が、どうしてもできなかった。本当は、俺を傷つけたくなかっただけで、結局、祐輔も、麗子も、傷つけてしまった。祐輔を、追い詰めてしまったのは俺なんだ。麗子にこんな残酷な決断をさせているのは俺なんだ。俺が、俺が……弱い人間だから……
「それは、俺の罪だ。お前が背負う必要はないんだ」
「違うわ。それは私の罪でもあるのよ。だって……私ね、ワガママなの……私だけの直輝でいて欲しいの……だから、私も、同じ罪を背負って生きていくわ」
麗子……お前はこんな俺を……こんなに、愚かで、無能で、弱い俺を……愛してくれるのか……
「一緒に罪を償わせて」
「ありがとう。麗子、俺は……」
「私と、この子だけの……直輝でいてくれる?」
「ああ、お前と、子供だけの……俺で、いさせてくれ」

 もう、それは、嘘ではない。俺はもう、祐輔を愛せない。俺は、俺のためだけに生きてくれた祐輔よりも、俺の家族を作ってくれた、本当の俺を受け入れてくれた、麗子を選ぶ。俺は、この罪を、生涯をかけて、償う。もう、それしか、俺が、人として、生きる道はない。
 
< 69 / 82 >

この作品をシェア

pagetop